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パオのパン生活

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2016年 04月 15日

陽子ちゃんの電話

昨日の事。
夕方、食事前位の時間に電話。
末娘が出る。

お母さん「山崎さんだって!」
えっ?山崎さん?
知らないよ~。

おそるおそる出る。
「今晩は、山崎です。」
「はい。今晩は、山崎さん?」
「山崎陽子です。」

えっーーー!
「陽子ちゃん?」


そうなんです。
ラスクの陽子ちゃんからの電話でした。
何年ぶりでしょう?

結婚したって、ご主人様とお店に来たのは10年位前の事。
今は子供4人のママ。
2つ違いづつの子供たちと戦争のような毎日を送っている。


ふと、「侑莉子さんもてっちゃんをおんぶして頑張っていたよなぁ~」
って思い出して、何年ぶりかでブログを開いたところ、自分の事ご書いてあり、まさかの偶然。

「働いたこともない私にたくさんの事を教えてくれて、本当に感謝しているんです‼ブログ見て、こんな風に思ってくれていたんだって思ったら嬉しくて、伝えなきゃ!って思ったんです。」


数十分の間、懐かしくて近況報告会となった。



当時は、パンがコンスタントに焼けなくて試行錯誤ををしていた時代。
自分達も若かったし余裕もなかった。
頭から叱ったし、泣きながら仕事したり。



陽子ちゃんは、パン生地の入った番十をひっくり返したり、
種を溢してしまったり、とんでもない失敗をくりかえして
仕事に自信を無くして辞めた。

最後のお給料をなかなかとりにこなくて連絡して、
数週間後、ようやく取りに来たのは夕方。
私たちに会わせる顔がなくて来れなかったと言う。



3才になるみりは陽子ちゃんと大の仲良し。
陽子ちゃんが来なくなった事をしきりに気にしていた。

お給料を取りに来た陽子ちゃんを見つけると出てきて、
「どうしてみりちゃんちに来なくなったの?みりが嫌いになったの?」
何も言えないで涙をためる陽子ちゃん。

私も切なくて何も言えなかった。


伊勢丹本店のイベントの仕事を2週間やった時は
みんなで徹夜したり、早朝から仕事をしたり休みなく頑張った。
陽子ちゃんも必死でついてきた。


大変だったけど、熱かった。

10年前に会った時にもいわれたけれど、
「あの時があるから違う仕事についても頑張れたし、どんなに残業が続いても、仕事はこんなもん。って思えて有り難かった。」
そんな風に言ってくれた。


私も鮮明に覚えていますよ。
あの2週間の仕事、陽子ちゃん、八ツ橋くん、桧田くん、桧田くんの奥さん
大変だったけど、楽しかったね。
その節は、ありがとうございました‼
陽子ちゃんの電話_a0072505_05151085.jpg


# by paomama | 2016-04-15 18:52
2016年 04月 13日

ラスクの話

パオが生まれて、新松戸に移って二年目の頃。

陽子ちゃんという大学をでたばかりの彼女は、パオに来る前に2週間だけ銀座のビゴの店で働いていた。

私も夫もパン屋で働いた経験がなく、手探りで自家製酵母のパンを追求していたので、パンの二次加工なんて知らなかった。

当時はお天気の悪い日は至って暇。
当然パンが余る。
困っていた私に、陽子ちゃんが「侑莉子さん、ラスク焼きましょうよ🎵」と言ってくれた。

私は、ラスクの作り方なんて知らない。
けれど、「私、ビゴの店でやりました‼」陽子ちゃんは意気揚々と言う。
今にして思えば、わずか2週間いたということは、ラスクの補佐位をしたのだろう。
そこで、陽子ちゃんの指示のもとラスクを作ることになった。


残ったパンを全部薄くスライスする。
鉄板に一枚づつ並べる。
4分焼く。
バターと砂糖を湯煎にして溶かしたものをハケで一枚づつ塗る。
6分~8分こんがりと焼く。
冷めたら袋詰め。
これが行程だ。

パオのラスクの場合は、フランスパンの他にカンパーニュや食パンなど色んなはを使うので、本焼きが難しい。 

その上、ボンガードという奥行き180㎝もあるオーブンで、深いから焼きにムラがあるから時間通りでは焦げてしまう。
技術が無いし加減も解らないから、4枚入るオーブンの出前2枚だけで焼いたり、4段あるのに2段しか使わないなどと要領の悪い事をしていた。

奥行きが深い分、一番奥の鉄板を出しもれてしまい真っ黒にしてしまうなんて事もしばしばあった。



あれから、何回ラスクを焼いただろう。
どれ位のパンをラスにしたのだろう。
今は、シュガーラスクとガーリックラスクを週一ペースで焼く。

いろんな人達とラスクを焼いたけど、
今は、文ちゃんがスライスして準備したパンを二人で並べて、
文ちゃんがから焼き。
二人でハケで手際よく塗り、私が本焼きをする。
かしわでの配達から恵子さんが戻る頃、ラスクは焼き上がり三人で袋詰め。

4段あり、4枚入る大きなオーブンも今は全て使い手際よく焼く。

習うより慣れろ。
私は、天然酵母の職人になりたかった訳ではなく、たくさんの人にこのパンを伝えたいと思っていただけ。
20年たったら、こんな大きなオーブンを使いこなし、一度にたくさんのラスクを焼く事が出来るようになっている。
恵子さんも文ちゃんも5~6年目になるけれど、パン職人希望で来た訳ではない。

でも、みんないろいろ出来るようになっている。
時間って凄い‼


まあ、そんな訳でパオのラスクは陽子ちゃんからのビゴ式ということで。
陽子ちゃんその節はありがとうございました。
お陰さまで、かしわででパオのラスクは大好評です😊
ラスクの話_a0072505_03182538.jpg


# by paomama | 2016-04-13 02:27
2016年 04月 10日

フランスパンの話

18年前の話になります。
夫がまだ、フランスパンを作ることが出来なくて試行錯誤していた頃。

近所に「アンブロージャ」というイタリアンレストランがオープンしました。
工事の大工さんから美味しいと聞いたからと、オープニングのパーティーのパンを予約しに奥様が来たくれたことから始まりました。

パーティーに来たお客様が、とにかくパンが美味しかったと大好評だったと伝えられ、その後も時々フランスパンを買いにみえた。


まだまだパンは不安定で、フランスパンに憧れながらも、なかなか上手く出来なくて失敗を山にしていた。
通常の仕事の他に、フランスパン生地を仕込み、仕事とは別にフランスパンの研究をしていた。

そこで、これを機会にアンブロージャさんでパオのパンを使って欲しいとお話しした。交渉は成立。昼にブール、夜にフランスパンを出す事になった。
フランスパンはまだまだ完璧とは言えない状態の時。
でも、ただ研究しているよりもレストランで出されると思いながら研究するのでは緊張感が違うと考えた。

フランスパンを仕込む毎日か始まった。
たった一本のフランスパンの為に仕込む。
そして、一番いい出来のフランスパンを手渡した。

レーズンから起こした天然酵母と国産小麦と塩だけ、コンスタントな仕上が難しく出せない日もあった。
どこがどうなのかも解らない手探りの時代。



アンブロージャさんのお子さんと、私達の子供たちと歳が近く保育園が一緒で、奥様とはいろんな世間話をしたり、夫の事を愚痴ったりいいお付き合いをさせて頂きました。
味も最高で、パオのパンとの相性も抜群。


このところ季節が不安定なので、夫はフランスパンに手を焼いている。
最近ではまれなぐらい、不安定。
良くないフランスパンを見ると当時を思い出します。




その後、移転などで生産量が増え、いろいろな問題が発生してお付き合いは終わってしまったけれど、パオのパンの成長の過程で支えてくれたアンブロージャさん、感謝の気持ちは今も同じです。


その節はありがとうございました。
フランスパンの話_a0072505_21354822.jpg

最近では、当時アルバイトでホールをしていた正夫ちゃんが、結婚して子供が出来たのをきっかけに、奥様や正夫ちゃんがパンを買いに来てくれます。
それもまた、嬉しい限りです。

# by paomama | 2016-04-10 20:54
2016年 04月 05日

子供たちの新しい生活。

次女はこの4月から社会人になりました。
この子を妊娠してパン作りを始めるきっかけとなった娘。

私は、20歳で長女を出産し、22歳から販売中心の仕事に着いた。
売り上げは伸ばしながらも、20代後半、生きずらさを感じていた頃マクロビオティクに出合った。

神様から贈り物を頂いた感じで、夢中で学んだし実践した。
朝も5時には起きて、掃除。
早朝散歩は欠かさず、自分磨きを試みて、毎日が輝いて見えていた頃。

毎月二万円位をマクロビオティク関連の本に費やした。

完璧にやり過ぎてガリガリになった。
まるで、新興宗教にハマッたように。
3年後、食生活を少し緩めた頃に、体が代わり、次女を妊娠した。

自分自身の操作が上手く出来なくて、
悩んでいた私は、神様から許された気分。

こんな私でも、赤ちゃんを授けてくれたと。

彼女がお腹にいた10月10日。
まるで、自分が宇宙になったような心地よさを体験していた。
お腹の中に、私が守って宿しているわが子。

こんなにも、いとおしくて感じるものかと自分が不思議だった。

週に三回はの見に行って、午前様だった私が、一切のアルコールもいらない。


そして、彼女を育てつつ、天然酵母も育てた。
娘は、真面目でいつも頑張り屋さん。

1言うと3解る子で、下の子達の面倒を見てくれる。



# by paomama | 2016-04-05 13:15
2016年 04月 05日

子供たちの新しい生活。

次女はこの4月から社会人になりました。
この子を妊娠してパン作りを始めるきっかけとなった娘。
20代後半、生きずらさを感じていた頃マクロビオティクに出合った。
神様から贈り物を頂いた感じで、夢中で学んだし実践した。
朝も5時には起きて、掃除。
早朝散歩は欠かさず、自分磨きを試みて、毎日が輝いて見えていた頃。

毎月二万円位をマクロビオティク関連の本に費やした。

完璧にやり過ぎてガリガリになり、3年後少し緩めた頃に
体が代わり、次女を妊娠した。

自分自身の操作が上手く出来なくて、
悩んでいた私は、神様から許された気分。

こんな私でも、赤ちゃんを授けてくれたと。

そして、彼女を育てつつ、天然酵母も育てた。
娘は、真面目でいつも頑張り屋さん。

1言うと3解る子で、下の子達の面倒を見てくれる。
子供たちの新しい生活。_a0072505_04553296.jpg



# by paomama | 2016-04-05 13:15