パオのパン生活

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2016年 06月 06日

ハワイに行った太郎くん。

ここでは太郎くん(偽名)にしておきます。

昨年の11月の終わりの夕方の事。
辺りは暗くなり、もうすぐ閉店という時間。
一台の赤い車が庭に入って来た。
男の子と母親が「良かったあった~✨」と、店内に入って来た。

安孫子から来たこの親子さんは、息子さんが一ヶ月入院していて、
添加物と繊維の多い食べ物はダメで、
ネットで「添加物のないパン」と検索したらパオが出てきて
ようやく来れたと言う。

始めてパオに来るのに、
新松戸を知らなくて、辺りが薄暗くなってたどり着くのは、
なかなか難しい場所にパオはある。

入店するや、母親は満面の笑顔で「やっててよかった~!」と二言目。
しばらく、今までの経緯を聞くことになった。


男の子、太郎くんは中学一年生。
小柄なので、小学5~6年生かと見えた。
小学生の5年生の頃から、時々お腹が痛くなり、便秘と下痢を繰り返していた。

幾分小柄なので、母親は気になっていたと言う。
小学4年生辺りから、身長が止まり体重も増えない。
心配したおばあちゃんが、自分の弟が戦後の食料難の時代にバターを食べさせたら大きくなった事を思い出し、
孫の為と、せっせとバターを運んで来て、食べさせていた。

半年も続いた頃、突然の腹痛に太郎くんは襲われ、病院に搬送され、
そのまま緊急入院となった。

そのまま、一ヶ月断食。
毎日、抗生物質と点滴だけ。


病名は「大腸のクローン病」
西洋医学では、その箇所大腸を切る手術しかないと言う。

一ヶ月、毎日検査検査の日々。
小児病棟なのに、何も食べられない。

一ヶ月後、手術の同意書にサインするまでになった。

その時、母親がふと太郎くんを見ると、
食べられないストレスで、少しおかしくなっていた。


大人なら、状況的に食べない意味が解るものの、
お腹が空かなくても、回りの子供達が食べているのを見るのは
想像以上のストレスだろう。

母親は、その状況に気がつき
サインするまでになっていたのを撤回して、緊急退院させて来た。
半ば無理やり。

「それでも母親か!殺す気か!」とまで、言われた。

このまま、ここに置いて置いたら、息子は精神的におかしくなる❗
そう、母親は感じた。



とにかくパンが好きで。

そう言うと、今までの経緯を話してくれた。


太郎くんが3才の時に離婚。
お姉さんが一人。
以来、母親が働いて育てていた。
太郎くんは、コンビニが大好きな偏食くんで、
野菜は食べない。
コンビニのパンとお菓子が大好き。


母親は食の大切さをあまり知らなかった。



しばらく、母親と太郎くんはパオに通ってくれた。
来るつどに、食の本や医療の裏側なんて本を貸しては、
毎回話した。

私達の子供達は予防接種を一切していない。
小学校に上がるまで、ほとんど肉は与えていない。

私の母親も25年前に、腎臓が倍に腫れていて手術と言われたのを、
私が、腫れてるから切ればいいはおかしい。
腫れてるなら、縮まなきゃ。
切ったら腎臓ではないですよね。

そう言ったら、先生はムッとした。

当時30才、バリバリのマクロビアンだったから、
思ったまま言ってしまった。
意見なんて、大それたことも思っていない。

ただ、太っていた母親は、
脂肪が大変だから、痩せてから手術と診断された。


その後数年後、精神的なトラブルで引きこもり、食べなくなり激やせ。

元気になった82才、内蔵はどこも悪くない。
少し痴呆があるだけ、
あの時の手術って何?
いつも思う。


そんな話をしたら、太郎くんの母親は
ポロポロ涙を流した。
怖かったと言う。

自分の直感だけで退院させたものの、大丈夫なのかと。



その後、船瀬塾を紹介した。
丁度、医療の勉強会があり、太郎くんと二人で参加する事を進めた。
一番前の席に二人で座り、太郎くんは船瀬先生にいじられながら、
たくさん笑って学んだ。




その後、
しばらく姿が見えなくて心配していた頃、
半年ぶりに太郎くん親子が店に来た。



「明日から半年、ハワイに行くんです。」
ハワイで医療用大麻を使った治療を見つけたと。

経費は数千万。
家が買えると。

それでも、お金をかき集めて、借金して行くと言う。



コンビニの添加物が、このクローン病の原因かは解らない。
けれど、大腸だから、全く関係ないとは言えない。

手軽で、安い食べ物が、
数千万と子供の時間を引き換えにした?


でも、太郎くんは病気を克服して
自分と同じような人のアドバイスが出きる人になりたいと
笑顔で言ってくれた。


明日、ハワイに行くという前日に太郎くんは
「パオママに挨拶に行かなきゃ!」って来てくれた。



半年後、元気で会えるように祈っています。
そして、私も半年後に太郎くんに会った時に
笑顔で迎えられるように頑張るから。


これから、紫陽花が咲くからね、
花の季節が変わる秋頃に会えるかな。
待ってるね。
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この掲載は太郎くんのお母さんの了解済みです。
参考になればとおっしゃていました。



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# by paomama | 2016-06-06 04:03
2016年 05月 16日

息子の火傷。

恐ろしいタイトルだけど、金曜日の11時頃店に電話が入る。
「母ちゃん、僕、顔に火傷しちゃってさぁ。」
えっーーーーー‼

ここ数日、大学近くの友達の家に泊まっていた。
前日の夜、部屋で寝転んでいた息子の側で、友達がカップラーメンを食べようとしたところ、誤って落としたらしい。

寝転んでいた息子の頬にかかり、頬、唇、鼻の中を大火傷!
夜中だった事で、一晩中冷やして時間を朝になるのを待ったという。
「なんで、緊急外来か、救急車を呼ばなかったの😬」って聞くと、
病院へ行っても薬くらいだと思ったと言う。

とりあえず、病院へ行き、学校へ行ったとの事。
「部活は?」ってたずねると、
「薬を塗ってガーゼとマスクでカバーしたから出る。」と言う。

心配しながらも、夜の8時半には帰るからと言われたので、待つしかない。



帰宅を待つが、帰って来ない。
眠くなり、9時半に娘に
「お兄ちゃんが帰ってきたら起こしてね。」
と、お願いして休む。

ガタガタと物音で目覚めたのは12時。

「大丈夫?」息子に声をかけた。
唇が腫れ上がり、頬に線のように赤く皮膚が剥けている。

「口を動かすと痛いから、何も食えないんだよ。今日一日でメロンバン1つを、小さくちぎって食べた。」夕食もいらないと言う。

「アイスクリームなら食べられる?」
小さなスプーンとハーゲンダッツを差し出した。
一口、口に運び「うめっ!」って嬉しそう。

次の日の仕事を考えて休ませてもらったが、
息子は次の日も大会で木更津までいくと言う。



次の日の、朝6時20分の電車に乗ると言って出掛けた。



胸がモヤモヤして、切ない。

仕事ばかりの母親は、子供達にあまり何もしてあげていない。
他のお母さん方のように子供を愛していないのか?
と思った事もある。

でも、怪我をした息子が切なくて心配している自分がいて、
母親な自分に驚いていた。



大きな怪我もなく、すくすくと育っていた子供達。


自営業なので、いつも側にいる。
なんの心配も無かった事に気づく。


火傷の後を見るつどに、いかに痛かったかを思うと切ない。




こんな風に感じられる自分の心。
以前の自分からずいぶん回復した事を見つけた。


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# by paomama | 2016-05-16 03:56
2016年 04月 15日

陽子ちゃんの電話

昨日の事。
夕方、食事前位の時間に電話。
末娘が出る。

お母さん「山崎さんだって!」
えっ?山崎さん?
知らないよ~。

おそるおそる出る。
「今晩は、山崎です。」
「はい。今晩は、山崎さん?」
「山崎陽子です。」

えっーーー!
「陽子ちゃん?」


そうなんです。
ラスクの陽子ちゃんからの電話でした。
何年ぶりでしょう?

結婚したって、ご主人様とお店に来たのは10年位前の事。
今は子供4人のママ。
2つ違いづつの子供たちと戦争のような毎日を送っている。


ふと、「侑莉子さんもてっちゃんをおんぶして頑張っていたよなぁ~」
って思い出して、何年ぶりかでブログを開いたところ、自分の事ご書いてあり、まさかの偶然。

「働いたこともない私にたくさんの事を教えてくれて、本当に感謝しているんです‼ブログ見て、こんな風に思ってくれていたんだって思ったら嬉しくて、伝えなきゃ!って思ったんです。」


数十分の間、懐かしくて近況報告会となった。



当時は、パンがコンスタントに焼けなくて試行錯誤ををしていた時代。
自分達も若かったし余裕もなかった。
頭から叱ったし、泣きながら仕事したり。



陽子ちゃんは、パン生地の入った番十をひっくり返したり、
種を溢してしまったり、とんでもない失敗をくりかえして
仕事に自信を無くして辞めた。

最後のお給料をなかなかとりにこなくて連絡して、
数週間後、ようやく取りに来たのは夕方。
私たちに会わせる顔がなくて来れなかったと言う。



3才になるみりは陽子ちゃんと大の仲良し。
陽子ちゃんが来なくなった事をしきりに気にしていた。

お給料を取りに来た陽子ちゃんを見つけると出てきて、
「どうしてみりちゃんちに来なくなったの?みりが嫌いになったの?」
何も言えないで涙をためる陽子ちゃん。

私も切なくて何も言えなかった。


伊勢丹本店のイベントの仕事を2週間やった時は
みんなで徹夜したり、早朝から仕事をしたり休みなく頑張った。
陽子ちゃんも必死でついてきた。


大変だったけど、熱かった。

10年前に会った時にもいわれたけれど、
「あの時があるから違う仕事についても頑張れたし、どんなに残業が続いても、仕事はこんなもん。って思えて有り難かった。」
そんな風に言ってくれた。


私も鮮明に覚えていますよ。
あの2週間の仕事、陽子ちゃん、八ツ橋くん、桧田くん、桧田くんの奥さん
大変だったけど、楽しかったね。
その節は、ありがとうございました‼
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# by paomama | 2016-04-15 18:52
2016年 04月 13日

ラスクの話

パオが生まれて、新松戸に移って二年目の頃。

陽子ちゃんという大学をでたばかりの彼女は、パオに来る前に2週間だけ銀座のビゴの店で働いていた。

私も夫もパン屋で働いた経験がなく、手探りで自家製酵母のパンを追求していたので、パンの二次加工なんて知らなかった。

当時はお天気の悪い日は至って暇。
当然パンが余る。
困っていた私に、陽子ちゃんが「侑莉子さん、ラスク焼きましょうよ🎵」と言ってくれた。

私は、ラスクの作り方なんて知らない。
けれど、「私、ビゴの店でやりました‼」陽子ちゃんは意気揚々と言う。
今にして思えば、わずか2週間いたということは、ラスクの補佐位をしたのだろう。
そこで、陽子ちゃんの指示のもとラスクを作ることになった。


残ったパンを全部薄くスライスする。
鉄板に一枚づつ並べる。
4分焼く。
バターと砂糖を湯煎にして溶かしたものをハケで一枚づつ塗る。
6分~8分こんがりと焼く。
冷めたら袋詰め。
これが行程だ。

パオのラスクの場合は、フランスパンの他にカンパーニュや食パンなど色んなはを使うので、本焼きが難しい。 

その上、ボンガードという奥行き180㎝もあるオーブンで、深いから焼きにムラがあるから時間通りでは焦げてしまう。
技術が無いし加減も解らないから、4枚入るオーブンの出前2枚だけで焼いたり、4段あるのに2段しか使わないなどと要領の悪い事をしていた。

奥行きが深い分、一番奥の鉄板を出しもれてしまい真っ黒にしてしまうなんて事もしばしばあった。



あれから、何回ラスクを焼いただろう。
どれ位のパンをラスにしたのだろう。
今は、シュガーラスクとガーリックラスクを週一ペースで焼く。

いろんな人達とラスクを焼いたけど、
今は、文ちゃんがスライスして準備したパンを二人で並べて、
文ちゃんがから焼き。
二人でハケで手際よく塗り、私が本焼きをする。
かしわでの配達から恵子さんが戻る頃、ラスクは焼き上がり三人で袋詰め。

4段あり、4枚入る大きなオーブンも今は全て使い手際よく焼く。

習うより慣れろ。
私は、天然酵母の職人になりたかった訳ではなく、たくさんの人にこのパンを伝えたいと思っていただけ。
20年たったら、こんな大きなオーブンを使いこなし、一度にたくさんのラスクを焼く事が出来るようになっている。
恵子さんも文ちゃんも5~6年目になるけれど、パン職人希望で来た訳ではない。

でも、みんないろいろ出来るようになっている。
時間って凄い‼


まあ、そんな訳でパオのラスクは陽子ちゃんからのビゴ式ということで。
陽子ちゃんその節はありがとうございました。
お陰さまで、かしわででパオのラスクは大好評です😊
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# by paomama | 2016-04-13 02:27
2016年 04月 10日

フランスパンの話

18年前の話になります。
夫がまだ、フランスパンを作ることが出来なくて試行錯誤していた頃。

近所に「アンブロージャ」というイタリアンレストランがオープンしました。
工事の大工さんから美味しいと聞いたからと、オープニングのパーティーのパンを予約しに奥様が来たくれたことから始まりました。

パーティーに来たお客様が、とにかくパンが美味しかったと大好評だったと伝えられ、その後も時々フランスパンを買いにみえた。


まだまだパンは不安定で、フランスパンに憧れながらも、なかなか上手く出来なくて失敗を山にしていた。
通常の仕事の他に、フランスパン生地を仕込み、仕事とは別にフランスパンの研究をしていた。

そこで、これを機会にアンブロージャさんでパオのパンを使って欲しいとお話しした。交渉は成立。昼にブール、夜にフランスパンを出す事になった。
フランスパンはまだまだ完璧とは言えない状態の時。
でも、ただ研究しているよりもレストランで出されると思いながら研究するのでは緊張感が違うと考えた。

フランスパンを仕込む毎日か始まった。
たった一本のフランスパンの為に仕込む。
そして、一番いい出来のフランスパンを手渡した。

レーズンから起こした天然酵母と国産小麦と塩だけ、コンスタントな仕上が難しく出せない日もあった。
どこがどうなのかも解らない手探りの時代。



アンブロージャさんのお子さんと、私達の子供たちと歳が近く保育園が一緒で、奥様とはいろんな世間話をしたり、夫の事を愚痴ったりいいお付き合いをさせて頂きました。
味も最高で、パオのパンとの相性も抜群。


このところ季節が不安定なので、夫はフランスパンに手を焼いている。
最近ではまれなぐらい、不安定。
良くないフランスパンを見ると当時を思い出します。




その後、移転などで生産量が増え、いろいろな問題が発生してお付き合いは終わってしまったけれど、パオのパンの成長の過程で支えてくれたアンブロージャさん、感謝の気持ちは今も同じです。


その節はありがとうございました。
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最近では、当時アルバイトでホールをしていた正夫ちゃんが、結婚して子供が出来たのをきっかけに、奥様や正夫ちゃんがパンを買いに来てくれます。
それもまた、嬉しい限りです。
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# by paomama | 2016-04-10 20:54
2016年 04月 05日

子供たちの新しい生活。

次女はこの4月から社会人になりました。
この子を妊娠してパン作りを始めるきっかけとなった娘。
20代後半、生きずらさを感じていた頃マクロビオティクに出合った。
神様から贈り物を頂いた感じで、夢中で学んだし実践した。
朝も5時には起きて、掃除。
早朝散歩は欠かさず、自分磨きを試みて、毎日が輝いて見えていた頃。

毎月二万円位をマクロビオティク関連の本に費やした。

完璧にやり過ぎてガリガリになり、3年後少し緩めた頃に
体が代わり、次女を妊娠した。

自分自身の操作が上手く出来なくて、
悩んでいた私は、神様から許された気分。

こんな私でも、赤ちゃんを授けてくれたと。

そして、彼女を育てつつ、天然酵母も育てた。
娘は、真面目でいつも頑張り屋さん。

1言うと3解る子で、下の子達の面倒を見てくれる。
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# by paomama | 2016-04-05 13:15
2016年 04月 05日

子供たちの新しい生活。

次女はこの4月から社会人になりました。
この子を妊娠してパン作りを始めるきっかけとなった娘。

私は、20歳で長女を出産し、22歳から販売中心の仕事に着いた。
売り上げは伸ばしながらも、20代後半、生きずらさを感じていた頃マクロビオティクに出合った。

神様から贈り物を頂いた感じで、夢中で学んだし実践した。
朝も5時には起きて、掃除。
早朝散歩は欠かさず、自分磨きを試みて、毎日が輝いて見えていた頃。

毎月二万円位をマクロビオティク関連の本に費やした。

完璧にやり過ぎてガリガリになった。
まるで、新興宗教にハマッたように。
3年後、食生活を少し緩めた頃に、体が代わり、次女を妊娠した。

自分自身の操作が上手く出来なくて、
悩んでいた私は、神様から許された気分。

こんな私でも、赤ちゃんを授けてくれたと。

彼女がお腹にいた10月10日。
まるで、自分が宇宙になったような心地よさを体験していた。
お腹の中に、私が守って宿しているわが子。

こんなにも、いとおしくて感じるものかと自分が不思議だった。

週に三回はの見に行って、午前様だった私が、一切のアルコールもいらない。


そして、彼女を育てつつ、天然酵母も育てた。
娘は、真面目でいつも頑張り屋さん。

1言うと3解る子で、下の子達の面倒を見てくれる。


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# by paomama | 2016-04-05 13:15
2016年 03月 24日

お手紙を頂く。

一昨日の事。
ポストに可愛らしいピンクの封筒が入っていた。

パオ御中と書いてあり、やや厚い。

内容は、かしわでで購入したパンを食べた所、小麦の味、発酵の香りを感じて感激しました。
疲れてはてていた自分が癒されました。
毎朝食べるパオのパンに癒されたというものだった。

ネットがあたり前の時代になり、書き込みで感想を伝える方が多く、手紙は珍しく嬉しかった。


私自身が、このパンで癒され、
多くの方をパンで癒したいと思ったのは22年前の事。

製造量が増え、仕事に追われるようになり、こういう気持ちを忘れていた自分に気がつき暖かい気持ち 、パンを焼き始めた時の想いを思い出させて頂きました。

こちらこそ、ありがとうございました。
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# by paomama | 2016-03-24 23:04
2016年 02月 28日

けいちゃんが私にくれたもの。

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けいちゃんは、私が27才の時に知り合った。
知人のスナックで働いていて、昼間は保険の仕事をして、年が同じ。
たまたま長女と同じ年の息子さんがいて、気があった。
やや太めだけど、顔が可愛らしくて、夜の仕事へ行く時に会うと、ドキッとするほど、美しい。

当時の私は、アパレルの仕事をしていて、ひたすら痩せたがっていた。
仕事は充実してけれど、何か満たされない部分があり、いつも将来の不安を抱えて、それが痩せているを自分を作ることでごまかしていたのか知れない。

いわゆる、摂食障害。
食べ方が解らなくなっていた。

気取って仕事をする自分。
会社で評価されている自分。
食べられない自分。
食べ始めたら止まらない自分。

本当は苦しかった。

時々、けいちゃんの所に遊びにいくと、昼間からビールが出てくる。
ダンナと友達とけいちゃんで、昼間からビールを飲んで、大画面テレビの競馬を見ている。
私は、競馬は全く解らない。

彼らは、どうやらのみ競馬という事をしていたようだ。
電話でやりとりしながら、テレビを見ながら、盛り上がっている。


生き方に苦しんでいた私は、ふっくらして、よく食べて、よく飲むけいちゃんといると、救われた。

マクロビオティクに出会って、何をどう食べればいいかを知り、すーっと楽になって、すっかりハマった。
けれど、どんどん痩せてしまい、また、食べられなくなってしまった。

苦しんで生きていた私がパンに出合ったのは、33才の時、次女を妊娠して毎日が日曜日になり、体の芯から幸福に溢れて生きていた頃。

お腹の中の次女に語りながら、宇宙と交信している気分。

仕事を辞めて、長女のおやつ作りに始めたパン。
天然酵母なんて、ほとんど無い時代。
試行錯誤、毎日、パンパンパン。

なかなか、上手く出来ないものの、時々食べられるパンが出来ると、けいちゃんの所に届けた。

美味しいって、言ってくれて、
材料費を払うから作ってって言って応援してくれた。


夫がパンに参加するようになり、パオが生まれてからも、ずっと応援し続けてくれた。
もう、20年。



けいちゃんが体調が悪くて、浮腫むからって、相談されたのは10年位前。
透析するからって、話を聞いたのは、その半年後。
食事療法や冷えとりの話をしたのだけど、透析は寝てるだけだからって、笑って言っていた。

3年前に、糖尿病で足を切断したって、けいちゃんの中学生からの友達から聞いた時には、どうして‼って涙が溢れた。


私は、けいちゃんに癒され、応援されていたから、パオが生まれたといつも思って感謝していた。

けいちゃんに、[私は、けいちゃんに助けられたんだよ。]って言うと、いつも、何もしてないよ~。って笑っていた。




結局、亡くなった。
透析と糖尿病。
辛かったね、


大好きだったけいちゃん、ありがとう。
今のパオがあるのは、けいちゃんがいつも励ましてくれていたから、

どうせなら、やるだけやったらいいよ。
好きなことがあって羨ましい。
そんな風に言ってくれたよね。


それでも、また同じ毎日が始まる。
けいちゃんが応援してくれたパンに、たくさんのお客様が来てくれているよ。


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# by paomama | 2016-02-28 03:34
2016年 02月 22日

明美ちゃんのガーデニング

いつも、のり子さんが綺麗にお掃除してくれていて、お庭には雑草一つありません。
温かくなってきたので、花が欲しいと思い、明美ちゃんなお願いしました。
ご主人様のご実家の都合で引っ越しを予定していて、パオを辞めたけど、
まだ近所に住んでいるので、お願いすると、一つ返事で引き受けてくれた。
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ありがとうございました!
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# by paomama | 2016-02-22 01:12