1 2006年 07月 23日
5年前の7月は蒸し暑くて大変な年。 大きなお腹で仕事をしていて、足がパンパンになってはフーフー言っていた気がする。(笑) 予定日は7月18日、予定日はすでに過ぎている。 7月22日の夜、陣痛めいた兆候が・・・・・。 出産後、しばらく留守にすると考えて、冷蔵庫の整理や仕事上での手配を徹夜でしていた。 「さあ!明日はお産だ!」旅行にでも出かけるようなルンルン気分♡ 入院中は三食昼寝つき。その上助産院の食事はおいしくて楽しみ♪とばかりに、一人でもくもくとかたずけていた。 当時いた2人のスタッフにはいつ始まるか解らないお産のため、日々留守中の打ち合わせをしていたが、ちょうど22日は日曜日。「定休日で良かった。」と明け方を待った。 本当は少しでも寝たほうが良かったのですが、始まるお産に興奮気味、とても寝付けない。 夫はいつも2時過ぎには起きるので、2時を回れば起こしてもいいだろと考えた。 「ねぇ陣痛が始まったみたいなんだけれど・・・。」よく眠っている夫にそっと伝える。パン屋の仕事は朝が早く、毎日2時起き。まして暑い時期は体力を消耗するので疲れが抜けにくい。熟睡している夫に申し訳ない思いを残しながら、「道路が混むから早めに出たほうが・・・」 杉並区の成田にある「黄助産院」で2番目と3番目を出産していて、今回は4人目、3度目の助産院でのお産、松戸から杉並区まで昼間なら2~3時間はかかる渋滞の多い道。 夫も「3時前には出よう。」と7歳になる美里を起こす。「美里、病院に行くから起きな。」そっと声をかけるとお産を楽しみにしていた美里は「生まれるの?」と飛び起きた。 4歳のてっちゃんは起きる気配も無い「車のシートを倒して哲はこのまま寝かせて連れて行くか。」夫は車の後部のシートを倒してタオルケットを敷く。美里はキャンピングカー気分。何でも楽しめる美里ちゃんはノートや本をバックに入れて準備万端。 「先生には連絡しなくていいの?」連絡するにしてもまだ3時前、「数日前にそろそろだという連絡はしてあるから、近くに行ってから電話しよう。」と3時過ぎには出発した。道路も外環もガラガラ。少し興奮気味で一睡もしてなかったので、車の振動が心地よく、私はつい、うとうと・・・としてしまった。「おい!もう着くぞ。」一時間ちょっとで成田についてしまった。 まだ4時過ぎちょっと早すぎるので、コンビにで子供たちのおやつを買いながら時間を潰す事に。 よく寝ていた哲を起こす。何でそこにいるのかも解らない。「ジュースを買うよ。」と車から降りる。 しばらくコンビに探索。お菓子を見たり雑誌を見たり、こんな夜中に小さい子供を連れて大きなお腹を抱えた家族、不思議なな光景。しばらくコンビに滞在しているとかなり変。そのうちにてっゃんがおもちゃに目が止まり恒例の「買ってくれ!」が始まった。哲は美里と全く違って言い出したら絶対引かない。目に付くとすぐに買ってくれが始まる。スーパーで駄々をこねては寝そべって足をバタつかせるうるさい子供。私の場合は絶対買わないので、よく近所のダイエーのおもちゃ売り場で寝られては元気なさかなを抱えるように帰ったものだ。 私がいらいらしだし「哲・・・!」といいかけたとき夫が「今日は赤ちゃんを産みに来たんだよ。おもたゃを買う日じゃないよね。産院にいる時に飲むジュースを買おうね。」とやさしくさとした。しぶしぶ納得した哲は今度はジュースとお菓子と2個買ってが始まった。どちらにしてもすんなり言うことを聞かないてっゃん。今3年生になってもあまり変わらない。 コンビ二は子供にとっては我慢しきれないほど楽しい空間。「少し早いけれど産院に電話しよう。」と携帯で電話するとすぐにやさしい先生の声が聞こえた。「すいません。こんなに早く、夕べから陣痛めいていて・・・今近所に来ているんですけれど・・・」と伝えると。明るい声で「まぁ!すぐに来てください。」7月の5時少し前。ずいぶん明るくなってきていているが、人道通りは少ない。 そっとドアを開け産院にはいる。当然他に入院しているお母さん方もいるので「静かにね。」と子供たちに伝える。黄助産院は二世帯住宅のような3階建て、普通の一軒家である。 玄関からすぐに階段があり、上がると2階に待合室のような和室、板の間の診察室、その奥に二間の和室の病室がある。 「じゃあ診察しましょう。」と子供たちに「他のお部屋にはお母さんと生まれたばかりの赤ちゃんが眠っているので静かにね。」そう伝えて私だけ診察室に入る。「そうね~、始まっているけれど、まだ弱いわね、様子を見ましょう。お部屋を準備するはね。」と和室に案内してもらった。 家族で一室を分けてもらったものの、子供達はどんどんうるさいし、陣痛は一向に進まない。ただ、和室でうたた寝をしているに過ぎない。昼ごろになり、「ねえ、一度帰ろうか・・・」と夫に伝える。うるさい子供達に手を焼いてか夫も「帰ろう!」早朝意気ようようときたものの、とりあえずは帰宅。いったい何なのかと思う一日。帰宅後クーラーのきいた部屋でみんなでお昼♡ そして、次の日の朝、5時頃、お腹が張ることに意識が・・・・、でも前日あんなことがあったので、しばらく様子を見る。けれど時間が過ぎるにつれ、どんどんお腹が張る。 「ん~!やっぱりうまれる?」自問自答。8時を過ぎると陣痛は15分間隔を切る。「これは間違いない!」とすかさず助産院に電話。すぐに来るように言われる。けれど、パンはまだまだ焼き上がっていない。 夫に「今日はすごく暑いからフランスパンが無くても大丈夫だよ。」イギリスパンを焼き上げ、ラストのフランスパンを没にすることに決めて、夫の運転で杉並区まで出発することに!子守権夫の父も便乗。スタッフに指示をして出る。「じゃあ生んでくるからね。」へんなセリフ・・・。 幸い道路もそんなには混んでいない。時々起こる陣痛の張を楽しみながら、昼過ぎには到着。 12時過ぎに助産院に着いて診察してもらうと「まあ、始まっているわ。夕方には生まれるわ。」と伝えられる。どきどきしながら楽しみでもある「生まれるのか・・・・。」わくわくし始めた。 ちょうど今週いっぱいで夏休みに入るので、ちょうどいい産休になる。 今回はお産が入る事を考えて3週間予定していた。そうすると当然、休み中のまとめ買いのお客様がいらっしゃるので、陣痛の合間に携帯電話で週末の予約電話をかける事に・・・・(笑) 「もしもし・・・今週の土曜日で3週間のお休みに入りますが・・・」電話をかけたのは、ずっとライ麦を中心にハード系ばかりを召し上がる常岡さん。月一ペースで1万円近く買ってくださる。 ご予約を受けてから、「実は今、産院にいるの。これから生むから・・・」当然先方は「え~!!!!」非常に受けていた♡そして、そのまま数名のお客様に連絡を入れる。 とりあえずご予約がまとめまると、今度は最終日の数字出し。「最終日だからイギリスパンとカンパーニュは多目かね。」夫、「グラハムパオ(全粒粉の80%にドライフルーツが入るパオの定番)は多めに焼こう。」私。そんな風に1つ1つの数を出し、全体の数字をまとめる。パオの場合は全部自家製の天然酵母でパンを焼くので、何日か前に数字を出しておかないと、種が作れない。 これから数時間後にはお産を控えながら、夫とパンの打ち合わせ。なんともカッコイイではありませんか!そんな自分に酔っている暇もなく陣痛は時々私を襲う。「ん~~~!」お腹、背中、腰、さすってみるが、イマイチ楽にはならない。自然分娩2度の経験では、その子供によっての陣痛の逃がし方があるのだが、今回もなかなか見つからない。 その上、哲と美里が遊びモード全快でうるさい。仕方なく、モーレツに暑い中じいちゃんが公園に連出すことに。しかし最高に厚い炎天下、すぐに戻ってくる。やっぱりうるさい。「静かにしなさい!」入院しているお母さんに気を使い子供達に注意する。すると先生が「林さん、大丈夫よ。それよりお子さんが気になるでしょう・・・お風呂に入ろうかぁ」とお風呂にお湯をためてくれた。 陣痛というのは母親がリラックスしていないと進まないらしい。緊張状態だったり疲労していると進まないということを説明された。当然子供が騒ぐことに神経を使うと陣痛は進まない。 すごく暑い日だったのでお風呂は気持ちがいい。そして先生はラベンダーを湯船にたらしてくれた「ゆっくりね。」関西なまりの流暢な声がリラックスする。時々来る陣痛の波もラベンダーの香りでほんわりした心地よさにあんまり苦痛ではない。昨日、一昨日と寝不足の私はボタボタ流れる汗とラベンダーの香りに包まれてうたたね寝状態。陣痛の痛みは全く感じない。 ふわ~と心地よさに浸っていると、あれよあれよという間に陣痛は進み、気がつけばお風呂から立ち上がれない痛みに襲われている。「うわ~!来た! つづく ▲
by paomama
| 2006-07-23 15:04
| 天然酵母パン
2006年 07月 19日
2006年 07月 18日
伊勢丹での話を数ヶ月前、研修生として朝6時からラストまで仕事をして、約2ヶ月で研修を終了したMに相談した。まだ次が決まらず、相変わらずの生活をしている。研修終了時、中途半端な自分に気がついたのでそのままパオで働きたいと一生懸命に伝えられたものの、次の人員は決まっていたし、夏で少し暇な時期になるので、「ok」は出せなかった。 けれど、人員的に派遣出来る人間は彼女しかいない。 「ようやくパオをあきらめて次を考え出したところなので、流れからいって半端な気がする。」 そう伝えられたものの、彼女に頼むしかない。 「次は決まったの?毎日何しているんの?」そう尋ねると、母方のおばあちゃんの具合が悪いので母親が行きっきりのため、家事をしているという。 「伊勢丹かぁ、面白そうですね。」楽しいことが好きな彼女は少し動いた。 とりあえず電話では・・・・と、直接会うことに。 夫と3人で話す。 「結局、売り上げどうこうよりも、ここまで頼まれて動けないというのは・・・・。」と しばらく、繭にしわをよらせて、「ん~!伊勢丹かぁ、面白そうって言えば、面白そうだなぁ。」 しばらく考えて・・・・ 「ん~じゃあ、この7日間だけはやりますよ。」そう答えてくれた。 尻切れな感じの終わり方をしたのに、また手伝ってくれる。 これも彼女の人柄だろう。 「パオにおいてください。」と捨てられる子犬みたいな表情でお願いされた彼女を思い出し、申し訳ない思いでいっぱいになった。 6月上旬彼女に近所の幼稚園でエコパーティで販売員をしてもらったことがあり、その時の動きの良さが今回の企画には戦力になると考えた。 まだ、先の話とはいえ、もう2ヶ月位しかない。 少ない人員で丁寧なパン作りを心かけているパオにとって、別企画な仕事を引き受けることは異例のこと。 自家製酵母と国産酵母のみでパンを焼いているので、コンスタントに量産を7日間行うという緊張感に体が締まる。 イーストもイーストフードも一切使わず、国産小麦にこだわりパンを焼く。 9月の中旬といえば、まだ残暑もきつく蒸し暑い。決してパンにいい時期とは言えない。 8年前伊勢丹本店の企画をやったのも、この時期。9月中旬から2週間休みなし。2週間で3キロやせた。焼き立てであさピックするため夫と当時のスタッフは午後2時から仕事をして、夜中に焼いて、朝6時伊勢丹のトラックに乗せた。 そして、家事をして保育園を祖父に頼んで、7時過ぎには電車で新宿に・・・ 8時半には入らないと売り場が作れない。 始めは販売員の手配が不十分で自分と2人。 予算的に販売員は雇うことが出来ないので、パン好きのボランティアを募った。 すると、ぞくぞくと自分の都合のいい日にちを書いたファックスが届き、人員のローテーションを組む。スタート時かなりばたつきヘロヘロだった毎日が、2週間の後半はかなりスムーズになっていった。 しかし、3番目の息子はまだ8ヶ月。母乳で育てていたため、授乳に苦労した ▲
by paomama
| 2006-07-18 09:43
| 天然酵母パン
2006年 07月 13日
2006年 07月 11日
先日、伊勢丹の食品担当のマネージャーさんから突然の電話。 9月の7日間のイベントにぜひ出店できないかということ。 ・・・伊勢丹は7年前、新宿の伊勢丹本店に2週間の企画で参加したことがあった。 夜中に焼いて、焼き立てを朝出荷という、かなりハードな生活。 当然お店もあって、両方でのこと。 2週間で3キロやせた。 さっそく、相談に来るという。 私の中では、今年に入ってお客様の流れがいい感じで、このままで充分と思っていた矢先のお話なので、お断りするつもりでいた。 月曜日の夕方、マネージャーさんがいらした。 かなり緊張した面持ち。 事務所に通すやいなや、自分の伊勢丹で経歴を話し始めた。 3年間新宿伊勢丹でパンを担当していたという。 また、食品を担当しての面白みや仕事への熱意を一生懸命に話してくれた。 彼は実家が新松戸でかつてのパオもご存知だという。 そして、こんなにもおいしいパンをぜひ伊勢丹からたくさんのお客様に伝えたいという。 1時間半、とにかくお願いされた。 「どうかお力を貸してください。」と、 私も夫もパンにハマって好きでパンを焼いていただけのこと。 何度も何度も頭をさげられるような人間でもない。 まして、伊勢丹の責任者的方に・・・・。 10年前の自分をふと考えた。 自分を見失って、生き方に迷っていた20代後半。 ボロボロになって、自己反省して落ち込んで・・・・ 私は酵母を起こしてパンを焼いて癒された。 そんな昔の自分を思い出した。 大変だから断ろうと思っていた。 今のまま、すこしづづ変化するパオを楽しもうと思っていた。 けれど、ここまでお願いされると・・・・。 パンを焼き始めて11年。 新松戸に開業してちょうど丸10年。 これも何かの節目かと考えた。 たまたま、彼のご両親がパオの常連さんであった。 お母様が、パオのクロワッサンアマンドが大好きで、毎日のように買いに見えた。 そして、いつもニコニコして「アーモンドはお肌にいいのよね。」と微笑む。 毎日アマンドを焼くときお母様の顔が思い浮かび、5~6個多めに焼く。 最近は少し体調をくずし、前ほどは来ない。 けれど、ご近所ということもあり、お父様と一緒にあるいている姿に出会う。 お父様が奥様をいたわりながら歩く姿(ときどき「早くしなさい。」と声をかけている) お二人の姿を拝見するつど、忙しい私は数年後迎える夫婦2人の生活とダブらしていた。 その息子さんに真っ赤な緊張した面持ちで何度も頭を下げられてしまったら、 「もう、よしてください。私たちはそんなたいそうな人間ではありませんから。」と恥ずかしくなっていた。 製造量を増やすことで、お店の常連さんにご迷惑をかけたくないという思いから、即答も出来ない。販売員の手配その他準備が必要なので、数日時間をもらうことにした。 ▲
by paomama
| 2006-07-11 04:01
| 天然酵母パン
2006年 07月 06日
2003年10月、急にふってわいたお見合い話のように、今のお店の話が来て、バタバタと進み、2004年2月オープン。 あっという間に2年半。 裏手のパン屋から、表通りに越してきて、始めは通いの生活に少々疲れ気味。 引っ越した時、みりは4年生、てつせいは1年生、ちかはまだ2歳半。 まだ、おむつをしていた。 引っ越してしばらくは、家事と仕事との両立に少々疲れ気味。 昨年は何度引っ越したことを後悔したことか、 ![]() 朝4時頃、仕事にいこうとすると「ママ行かないで」とちかが後追いをする。 まだ3歳の子供には「ねんねしていてね。」が通じない。 みりに声をかけて「ちかをお願い。」と頼む ちかも半べそで「ママ、バイバイ・・・・」としぶしぶ納得。 2月の朝4時ごろは真っ暗。 わずか2~3分の距離を自転車で走る。 後追いを振り払ってきたことで胸が苦しい。 「私は母親なのに・・・」と切ない。 パンを作りながら切なくて涙があふれそうになる。 夫はもくもくと仕込んでいき ミキサーの音だけが工房にひびく。 子供のことに想いが向くといたたまれないので、なんとか・・・・と考えた。 「そうか!ちかが起きてしまったら、お店に連れて行けばいい。」 寒かったらマフラーぐるぐる巻きにすればいい。」そう思ったらすっと楽になり、 早速次の日「ママ行かないで」と3時30分頃目覚めてしまったちかに 「ママとお店に行こうか。」と暖かくいっぱい着せて出る。 2月の4時ごろは真っ暗で寒い。 「ちか、お星様がでてるね。」自転車でわずかな距離。 さすがに3歳児を自転車の後ろに乗せているのはかなり変! パン工房にちか来ると 「パパ!」と夫のところに駆け寄ると「何だよ~!」と言いながら夫もうれしそう。 かなり贅沢な話だけれど、パオは裏でやっていたときはずっと子供がそばにいて仕事をしていたので、ちびが工房にいる風景はなんかうれしい。 それでも2時間もすると「ママ眠くなっちゃった。」とちか バックヤードにあるキャンプ用の簡易ベットを作り、ちかはお休みタイム。 その後、みりと哲も工房に来だした。 みりと哲のくだらないケンカが始まり、うるさくて仕事にならない。 と、いう事で以前のままパン屋をしていたらもっと大変だということが解り、引越しは正解。 しばらく、ちかと一緒の出勤は続き・・・・。 最近は大きくなって、遊びが活発なせいか、全く起きない。 ちかちゃんも来週の日曜日5歳になります。 ▲
by paomama
| 2006-07-06 12:49
| 天然酵母パン
2006年 07月 05日
流山からパンを買いに来てくれる佐々木さんが、なにやら野菜でも入ってそうな袋を持ってお店に入ってきた。 「食べて。」とどさっと、レジ台の上に袋を置く。 見れば、トマトときゅうりが山の様に入っている。 「いつもおいしいパンを焼いてもらっているから。」と、 「えーこんなにたくさん!」野菜大好き大家族の我が家には、たいへんうれしい贈り物。 佐々木さんは、パオが裏手でお店をしていたときからのお客様。 引っ越してからしばらくお会いしていなくて、 昨年末、大きなおなかをして買いに来てくれたのは3~4年ぶり位。 3歳になるお子さんがいて、仕事もして、毎日大変で、パオに来ると 「朝早くからがんばってるなぁ」と励みになると言っていた。 今年に入ってから、頻繁に買いに来てくれる。 彼女のお気に入りは全粒粉の食パン。そしてパオの焼き菓子。 素朴な味と日持ちがするのがいいと言う。 「本当においしいよね。私なんかどうしてこんな味がするんだろうと、全粒食パン1枚をまじまじとながめているんだよ。」なんてうれしいことを! 「埼玉の農家さんから頂く農林61号という小麦を石臼でていねいに引いて、ほら、あんな風に振るって入れてるの。」ちょうどスタッフが粉ふるいをしていた。 「だからおいしいんだね。」と納得 朝早くからがんばっている夫にすかさず 「シェフ!おいしいって言って下さっているよ。」売り場の空気を工房内に流すのは私の役割。 こもって仕事をしているから、なかなかお客様の声が聞きにくい。 こんな風に言ってもらえるときほど、お客様と製造の人間をつなげたいといつも考えている。 「有り難うございました。」夫もちょっとうれしそう。 ▲
by paomama
| 2006-07-05 07:39
| 天然酵母パン
2006年 07月 01日
変なタイトルだけれど、毎週土曜日はずっとおー君が手伝いに来る。 おー君は奥さんも子供もいるサラリーマン。 そしてパンが趣味。 おー君と知り合ったのは今から4〜5年前の事。 夫のパン講習会に二回も参加してくれた。 それ以前もパン教室にはずいぶんお金をかけたようだ。 初めて彼に逢った印章は「さわやか好青年」といった風。 3年前に「パオで働きたい」と相談された時は、おとなしい雰囲気にパオでは無理だろうと柔らかく断った。 そして、昨年の11月の講習会に参加してくれた彼は数年で別人の様に力強くなっていた。それはお子さんも大きくなったり、家族を養う責任感から来るものだと感じた。 そして、今年の1月から毎週土曜日6時からの実習が始まった。 仕事も忙しいらしく、寝るのが2時位になることもあったらしいが、 「来る」といったら来る。 半年間パオで毎週土曜日は掃除とかたずけに徹する。 パオも10年いろんな人と関わっているけれど、こんなにも実直な人は知らない。 「これじゃぁ、きっとサラリーマンは大変だろうなぁ。」と思う。 パンがやりたければやればいい! 「でもね、家族を養わないと・・・。」そう思うのだろうけれど、 「人生一度だよ。自分の思った事がつら抜けければ一番いい。」そんな話をした。 夫が楽しければ、家庭も楽しい。 そして、家族も楽しい。 美人な奥さんをもっているおー君。 君の人生は女房次第。 この半年間、今の仕事での悩みも随分あったようで、一時ぐっとやつれた。 その原因はパオと仕事の両立かと思っていたが、どうも違うようだ。 ▲
by paomama
| 2006-07-01 22:30
| 天然酵母パン
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