パオのパン生活

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2018年 12月 02日

私が私でいるために6...

私が私でいるために6

マクロビオオティックを完璧にやれたのは3年間。
少しづつ、緩くなって頃。



時々、熱海の道場にボランティアに行っていた。


セミナーの二日目の午前中に、必ず干葉湯の実習があり、参加していた。

干葉湯は、婦人科系全般に効くと言われて、無農薬の大根の葉っぱをからからに干して、大鍋でグツグツ煮出し、大根の葉のせんじ薬のような液体をベビーバスに入れ、お湯で薄めて、自然塩を少し入れて、下半身裸になって、腰を浸す。
お湯が冷めないように、大きなビニールシートで覆う。
近くにお湯の入ったポットを置き、冷めたらお湯を足す。

あまり格好は良くない。

膣から干葉湯を体に入れる感じ?



実は、その数ヵ月前。
下腹が差し込むように痛くなり、子宮筋腫じゃないかと友達に脅かされ、婦人科に行くと、「卵巣が半分に萎縮してて、生理どころか、更年期が早く来ますよ。」と診断されていた。

30才の私は更年期が何なのかも分からず。
ホルモン注射をお尻からブスッと打たれて、起こす生理に疑問を持ち、それ以後は病院へは行きませんでした。


そして、干葉湯をした次の日の朝。
トイレで血の塊が出て。
「生理がきた?」っと思ったら、一度だけ?


そんな経験の後、ポチポチ生理が起こせるようになっていった。


あの血の固まりは何だったんだろう?
治療しなくても生理は来たし?



当時は、玄米菜食のお弁当を作るアルバイトをしていて、秋葉原まで通っていた。

時々、足の先がほんわか暖かくなって。
不気味に感じ、足に霊がいる?なんて思ったこともあった。

血の巡りが良くなって行ったのでしょうね❤️



また、ある晩。
同じ年の従姉妹の夢を見た。

彼女は、近所に住んでいて、泊まりっこをしたり、よく遊んだ。

二十歳を過ぎた頃、ある宗教教にハマっていた。
私も熱心に進められて困った記憶がある。


彼女は、29才の時、妊娠9ヶ月で京都のお寺の本山に参拝に行った。
子供が生まれたら、しばらく行けないからと、ご主人と新幹線で出かけた。



所が、お寺の参道に入るなり、右足が動かなくなり、さらに右手も動かなくなり、そのまま倒れて、救急車で搬送されたが、亡くなった。


昔の事で、原因が何だったかは忘れました。

ただ、母は「お寺の本山なんて所は、地場が強いから、妊婦は行くべきではなかったんだよ。」なんて、霊的な事を言っていた。



その従姉妹が夢に出てきて、幼い頃のワンシーンで遊んでいた。

途中で、彼女が亡くなった事に気がついた私は、「あれ?この前、お葬式したよね?」



そう言うと、「ゆりこちゃん、それはいっちゃダメ?!」そう言うと、すーっと足元から消えていき。
消える寸前に、「私の変わりに可愛い赤ちゃんを産んでね。」と。


ハッと目覚める。

私は妊娠していないのに?


それから、数ヵ月後に14年ぶりのおめでたが分かることになる。。。。

つづく。

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# by paomama | 2018-12-02 12:21
2018年 10月 27日

私が私でいるために  ...

私が私でいるために その5

伊豆山から降りてきて、まずした事。

添加物の入った調味料を捨てる。
合成洗剤、シャンプー、柔軟剤を捨てる。
アルミの鍋を捨てる。

東北沢のオーサワジャパンに行き、調味料、乾物、梅干し、三年番茶など二ヶ月分を購入。
宅配野菜を契約した。

洗剤、シャンプーはシャボン玉石鹸に切り替えた。

塩は、極楽塩、海の精に。

伊勢丹にビタクラフトのお鍋を買いに行った。約15万円(笑)


朝は、5時前に起床。
早朝散歩。
掃除、洗濯、マクロビオテイックのお弁当を作る。

朝から床まで拭いていた(笑)


朝食は取らず、梅醤番茶、ヤンノー、コッコーなど飲み物だけ。


まずは、三ヶ月。
三ヶ月で血液は入れ替わると言われていて。
妙に完璧主義の私は、徹底しようと考えた。

食べ物で、どれ位変われるのか?



肉、魚、乳製品、卵、砂糖、添加物、農薬野菜、果物、イーストのパン、アルコールは一切取らない。

一日二食。
主食は無農薬で、玄米菜食。
それもかなり少食。

二ヶ月で5㎏体重が減って、睡眠時間は4~5時間で充分になり、たくさんの本が読めた。




毎月2万円位、マクロビオテイック関連の本を買い読みあさった。


自分がどんどん澄んでいくような感覚になって。
すごく気持ちが良かった。



自分だけでは、家庭の食事が不自然なので、
次の月に、夫を断食道場に参加してもらった。



一週間後、私よりもさらにハマって帰って来た夫。

松戸に怪しいマクロビオテイックファミリーの始まり~笑


今から30年前の事。

続く。


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# by paomama | 2018-10-27 21:00
2018年 05月 06日

夢にけいちゃんがいた...

夢にけいちゃんがいた。
けいちゃんは同じ年で、27才の時に知り合った。
けいちゃんの旦那の妹が沖縄で殺されて、働かなくなって離婚した。
昼は保険の仕事をしていて、夜はスナックでアルバイトをして、
二人の男の子を育てて、長男は私の娘の同級生だった。

妙に気が合い、よく飲みに行ったりカラオケをやったっけ。
その頃、仕事で色々あって、気分的には落ち込んでいた私を、
ちょっと太めのけいちゃんに、たくさん癒されていた。

二度彼氏が変わり、その都度、二人の男の子を連れて引っ越していった。
二度目の彼氏とは、その後ずっと一緒にいて男の子達は成人して働き始めた。


パンを始めた時の一番のお客様で、一番初めの応援者。
お店を出しても、ずっと応援してくれていた。

汗をかけないって言ってて、半身浴を進めたりしていたけど、
腎臓が悪いって知らなくて。
透析をするって話を聞いた時は、始めたら止められないし、自然療法や食事療法を進めたけど、週三回寝てるだけだし、障害者年金を貰えるから楽チンだって。
初めてのしまった。。。。

でも、やっぱり透析も疲れるらしく、前よりもお店に来て暮れる事が減った。

太っていたけど、糖尿病も患っていたって知らなくて。
足を切断したって聞いたのは、けいちゃんのお友達から。。。。

階段の中腹にあったアパートに住んでいたので、退院後は平屋に越していった。

自転車で15分の所から六実に越したので、なかなか会いに行けなかった。
忙しい頃で、行こうと思えば行けたけど。

会いたいって言うと、けいちゃんも見せたくなかったのか、疲れるからいいって。


そして、5年前亡くなった。
まだ、50才ちょっとだった。。。。


最近の私、色々重なっていて、モヤモヤしている。
明るく仕事はするものの、不安定。
兄や母の事が気がかりなのか?

気分は暗い。。。。
撃つっぽい。。。。



パット目が冷めたら、2時半。
けいちゃんの夢を見たら。

けいちゃんの事は、すっかり忘れていたのに。。。


夢の中のけいちゃんのアパートに自転車で行った。
何故か南流山?笑
アパートは、二階だっし、けいちゃんに足があった。

相変わらずニコニコ笑っているけいちゃんがいて、私も笑っている。

アパートの庭で野菜を作っていると言う。
今度、一緒に土地を借りて、野菜を作ろうと言う。
そんな楽しいやり取りをして、ぎゅっと抱きしめてくれた。

けいちゃん、ありがとう!って言って笑顔で帰る。

自転車で新松戸まで帰りたいのに、何度も道を間違える?
なかなかたどり着けない途中に目が冷めた。


あっ!
けいちゃんは、亡くなっていた!


鬱ぎ気味の私を心配してくれてたのかな。。。。


明日は定休日だから、早起きして朝日を浴びに歩いてみようかな✨



それとも、お友達のアーユルベーダサロンでデトックスもありかも~笑

けいちゃん、ありがとう~💕
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# by paomama | 2018-05-06 03:27
2018年 01月 12日

絵を描く喜びを思い出しています✨

昨年Facebookで、たまたま見つけた秋山洋子さん。
彼女とはパンの会、天然酵母の会の時に知り合って、渡邉さんとの打ち合わせでパンの会の事務所を訪れた時に話をしていました。

今から22年位前の話(笑)


パンの会でデザインをしてくれていた三枝ちゃんの広尾のスペインバルのお店を閉めるので、集まった以来、3年ぶり位?

夫も三枝ちゃんのお店に連れていったのだ。
昔から夫は、アンニュイな三枝ちゃんのファンだったからね(笑)



Facebookって、凄いね。
だって、それ以降、全く付き合いもないのに、復活させてくれて🎵


秋山ちゃんのホームページを見ると、お絵描き教室が木、日曜日にやっているのを見つけて「ラッキー!定休日だ💕」

10年位前に見たと時は、金曜日にやっていて、絶対行けないっておもってて。


前々から、パンの絵を描きたいって思ってて。


でも、茶色ばかりだから色づけが難しくてね。


12月はいっぱいで、1月がかろうじてあいていて、直ぐに申し込みして、楽しみにしていました🎵



すると、Facebookで秋山ちゃんとつながって一週間後、12月のシュトレンを描く教室にキャンセンが出たって見つけて、直ぐに申し込み!



Facebookでお友達になって二週間目、お絵描き教室に参加していました(^.^)


毎回テーマがあって、秋山ちゃんがパンを用意してくれているのだけど
どうせなら、パオのパンを描きたいって思って、メールしてみると、快く了解してくれて💕




。。。と、言うわけで、11日二度目のお絵描き教室に参加しました。


見つけたのは、私の絵は、優しいけどボケている(笑)


プロのアドバイスって素晴らしくてね、皆に自慢したくなる仕上がりになります!


最近、思う事は、「子供の頃から、紙と鉛筆だけあれば楽しい自分だったって」


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# by paomama | 2018-01-12 21:24
2017年 12月 30日

今年も終わりますね✨

昨年から始めたFacebook。
お陰さまで、たくさんのお友達が出来ました🎵

二年目に入るFacebookでの自家製酵母の会も、来年はWeb化したく。
詳しいメンバーが悪戦苦闘してくれている。

何をしたいか?


私自身が自家製酵母でパンを焼くことに癒された23年前。
そして天然酵母の会を旗揚げして、たくさんのメンバーと出会い、多くの感動も頂きました。

趣味で始めたパン焼きもお店にして20年がたち。
子供たちも大きくなり、手がかからなくなった私に出来ること。

自家製酵母でパンを焼くネットワークを作りたい✨


その昔、老後はメンバーのお店やお教室を訪ねながら全国を回ることでした。

20年前とは全く違う状況の日本だけど。
私にはそれしか出来ないから、私に出来ることを来年はしようと考えています✨




20年たった今、自家製酵母と国産小麦100%でこんなに素敵なフランスパンを夫は焼くようになりました!

さあ~✨
来年が楽しみです~💕
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# by paomama | 2017-12-30 04:10
2017年 01月 26日

息子の誕生日その4

息子を出産しても、夫は仕事から抜けられないので。
直ぐには来れなかった。

当時は、まとまった卸しの仕事をしていたので、定休日までは来れない。
お産に付き合ってくれた娘は、次の日に一人で電車で帰る事となった。

その夜から、また雪は振り出し。
シンシンと降り続いた。
窓の外は真っ白で、一面銀世界だ。

二階の六畳間を二人で過ごすのが、黄助産院の病室。 
布団を二枚並べて敷き、間に小さなついたてがあり、
小さなテーブルとスタンドが設置されていた。

お産が少ない時は、一人で使う事になる。


窓には障子があり、襖で仕切られている隣も六畳の和室。
真ん中の部屋は診察室。
その奥は四畳半の和室の待合室となっていた。

窓際の場所を与えられていたので、窓を開けると隣の屋根や他は真っ白。
吹雪くように雪は降り続いた。


ポツンと一人、「迎えに来てもらえるんだろうか?」
そんな不安がよぎるほど、雪は降り続いていた。

隣のは産まれたばかりの息子がいた。

黄助産院では、お産をしたその時から。
赤ちゃんはママの隣に来るので、沐浴以外は片時も離れない。
食事も一回のリビングに降りて、他のママや先生、助手の方達と皆で頂く。
赤ちゃんが起きていると、おくるみでくるんで連れて行き、ママの隣の座蒲団を敷いて寝かせておく。

食事は最高に美味しい手づくりで、おかわりも出来る。
ただ、先生と助手の方達で作るので、お産が入ってしまうと遅れる。
朝ごはんが10時になってしまったり、お昼ごはんが2時、夕ごはんが7時なんて日もあった。

小さな助産院なので、自動販売機も売店もない。

二度目のお産なので、その辺は把握していたので。
袋にたくさんのパンを持って入院していたので、食事が遅くなる時はパンで空腹を満たしていた。 


夫と当時のスタッフやっちゃんが、次女を連れて面会に来てくれたのは二日後の夕方。
凍結して道路が危ないので、次女に長靴を履かせて電車を乗り継いで来てくれた。

朝2時に起きて、2時半から仕事をしてして。
パンを3時半に出荷して、それから片して来てくれたのだ。
そして次の日もまた、2時半からの仕事をしてくれた。


五日後の月曜日が定休日ということで、退院はこの日になり。
松戸から西東京に引っ越した笹岡くんが車を出してくれて、夫は電車で来て送ってもらえる事になっていた。


パンを始めてから、二年目の事。
睡眠時間も少なくて、超忙しい日々を送っていた毎日だったので。
ぼんやり過ごす貴重な五日間だった。
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# by paomama | 2017-01-26 03:36
2017年 01月 22日

息子の誕生日その3

1月14日に、天然酵母の会のイベントで「隈元さんに教えてもらおう!
天然酵母のお話」というイベントを企画していた。 

子供を出産してしまっては、当然中止。
7時になるのを待って隈元さんに電話をする。
「すいません、うまれちゃったんです!
ピンク電話で10円玉を握ってかけた。

隈元さんも納得してくれて、後はお申し込みをしてくれた参加者の方に連絡をと、先に白井さんに電話をした。 

すると、白井さんは。
「隈元さんを囲んでの会だから、中止にする必要はないわよ!
私がしきるから、大丈夫よ!」
と、参加者に申し訳ないからやろうと言う。

それならばと、また、隈元さんに連絡を入れてイベントは開催となりました。 

私は何もできない中、白井さんはお弁当を五つ持参で、早々とパオに来て、
「何も食べて居ないんでしょう~(^○^)」と。
確かに、バタバタしていてスタッフと二人、朝から何も食べていなかった。  

この日も、大地を守る会への卸の仕事で12万円位のパンを製造していた。
 
白井さんと隈元さんが来てくれれば、イベントは大丈夫!



結局、参加者の皆様も楽しんで帰られたそうで、めでたしめでたし🎵


その後も大雪は続き
「私は帰れるのだろうか。。。。」
そんな事を考えて助産院から外をみていました。
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現在
白井さんは、茗荷谷マールツアイトのオーナー
隈元さんほ、宮之城アビヨンのオーナーです。
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# by paomama | 2017-01-22 14:13
2017年 01月 20日

息子の19才の誕生日その2

新高円寺の駅に着いたのは、12時過ぎ。
助産院には売店はないので、駅降りて脇のコンビニで、娘の食料と飲み物を購入し、タクシーに乗り込む。
1500円位の距離で降りて、助産院に着くと1時近かった。
助産院の扉を開けると、先生が笑顔で迎えてくれて診察。
「林さん、お産が始まってますよ!」そう言われて、娘とほっとした。

夜中のお産。
長女の時は市立病院で普通に産みましたが、お産が夜中になるからと。
陣痛促進剤を使われて、苦しいお産を経験して「二度とお産はしない!」と誓った二十歳の私。

でも、この黄助産院でのお産は二度目。
次女を14年ぶりに出産するにあたって、たくさんの本を読んだ中に
「それにしても、楽しいお産だったなぁ」という、黄助産院でお産をしたお母さんたちの手記をまとめた本に感動して、先生に連絡をした。

松戸から、高円寺?
お産をするには遠い?
そう思って連絡すると、優しい声で。
「筑波や成田、大阪からも産みに来る方がいますよ。」
徴候があったら、早めに入院すればいいだけの事を説明してくれて、
「松戸なら近い方よ。」の言葉に行くことにした。

初めての場所で、電車で行くのを億劫がって、のろのろしていると、
夫がヤキモキし始めて、
「めんどくさいから、こっちで産んじゃおうか?」と言うと。
「この出産が最後かも知れないのに、そんな適当ではダメだよ!」と、
仕事の休みの土曜日に、車で連れていってくれた。

松戸からだと、外環を使って二時間あれば着いた。
高円寺は、外環を降りてから小さな踏み切りがたくさんあって、時間がかかった。

次女の時は、そんな調子で。
結局、通院は夫が全部連れていってくれたのだった。


始めて黄助産院を訪れた時、優しい空気に包まれた、
三階建ての普通の家。
狭い玄関から入ると、すぐに階段。
左の部屋はキッチンと居間らしい空間があった。

階段を上がると、四畳半の和室の待合室があり、隣が診察室らしかった。
四畳半の和室には、カーペットが敷かれていて、
座布団があり、本やおもちゃが置いてあった。
直に座って順番を待つ。
病院とは全く違う空気感に、感動していて。
心は、「ここで産もう!」と決めた

診察の順番が来て、隣の部屋へ行くと。
六畳の板の間に、診療ベッドか置いてあり、診察器具が設置されていた。
ここで、四年前に次女を出産し、その感動が、自家製酵母のパンを極めようと決意するきっかけとなったのだった。

この当たりの話は、次女のお産の話を今度書くとして、話を息子に戻そう。


次女の陣痛の時は、大きなクッションを抱えていると楽で、腰をさすってもらっていたので、同じ姿勢をするが、楽にはならない。
楽な姿勢はないかと、あっち向いたり、こっち向いたりするが、
一向に見つからない、時間は2時半を回っていた。

娘は足元で、丸くなって寝ている。

トイレに立ち、便座に座る、立つ?
「あれ?楽?」
すぐに先生に伝えると、はいっと、
便座形のクッションの着いた椅子を出してくれた。 

こんなのもあるのかと感心して座る。
今までより、ずっと楽な姿勢を見つけられた。
陣痛って、その子によって違う事を発見した。

自然に産むので、時間を待つ。 
夜中なので座りながら、うたた寝をしていたように思う。

時々、杉山先生が様子を見に来てくれた。
しばらく、寄り添ってさすってくれた。

その時、どうして助産婦になったのか?
子供が大きくなってから、看護師や助産師の資格をとった話。
通学に二時間かかり、その時間が勉強の時間だった話をしてくれた。

私は、次女のお産を杉山先生に取り上げてもらった時の感動と、
それが自家製酵母どパンを極めようと思ったきっかけだと話した。

一人、夜中の陣痛を耐えるけど、先生も寝ずに付き合って下さって、
やっぱり素敵なお産を経験させてもらっていた。


4時を回った辺りから、陣痛の間隔が短くなり、
ふ~!ふぁ~!ふ~!ふぁ~!ふ~!ふぁ~!を繰り返す。

5時少し前に、
「そろそろ産まれるわよ!」先生の声に、足元で寝ていた娘を足で蹴り、
「起きて!産まれるよ!」と起こした。

高校生の制服のまま、ルーズソックスを履いている娘は、息子のお産に立ち合う事になる。
夫は仕事で立ち合う事が出来ないので、長女が代わり。

椅子に座って陣痛を逃していた私。
とうするの?
「林さん、このまま産みましょう!」先生。
最も、動ける状態では無かった。

丸椅子に座ったまま、下半身丸出し。
確か、スカートみたいなものを巻いていたように記憶する。


先生は、足元で取り上げる準備をしていた。


うーー!!!!
「苦しい~😢」一声漏れた。
「赤ちゃんも苦しいのよ!😬」先生。
「・・・・・・・!」耐える!



するん~!
「オギャーーーーーーー!」産まれた~~~~😑

「男?女?」聞くと先生が
「確かめて💕」先生は、いつも自分達で確かめさせるのでした。

ほっとしているもつかの間、
ヘソの尾のついたままのBabyを渡される。
すかさず、上着を脱ぎ上半身裸で抱く。
次女の時もそうしたのだった。

決めていたわけでは無いけれど、自然とそうしたかった。
肌で抱きしめたかったのだった。

そして、ヘソの尾を切る。
通常だと、夫が切るだけれど、夫はいない。
先生は、娘に指示した。

なかなか度胸のある娘ではあるけど、高校生が制服のまま、ヘソの尾をハサミで切る。
何とも凄い光景だ(笑)


そんな、流れで無事出産を終えるが、まだ終わりではない。

つづく。。。
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# by paomama | 2017-01-20 03:38
2017年 01月 19日

息子の19才の誕生日。その1

息子は、何年かに一度の膝まで積もる大雪の日に生まれた。
自家製酵母にハマって、パンが楽しくしていた時、夫もハマってしまった夫婦が松戸にいたのは、22年前の事。

夫もハマってしまったことで、これは起業するしかないと考えて動いていて、さあ今年の6月頃にスタートするぞ!って時に。
まさかのおめでた。
我が家で三番目のBabyだった。

これからって、時に?
そこで、これから生命が誕生するって事は、これからの事業が上手くいくって事?っとポジティブに考えて、さらに男の子なら成功する。
なんて考えた若い頃。

確かに、すごく忙しかったけど、お金に困った事は無かった。
1100万円丸ごと借金で始めた事業を、一年で完済した頃。

やたら大雪の降る年で、出産予定日の一週間前。
支払いが滞ると困るからと、雪の次の日に。
長靴履いて、大きなお腹を抱えて、えっちらおっちらと、
郵便局や銀行を歩いて回った。

足元が悪いせいか、歩くのに時間がかかり、戻ったのは二時間位後。
夫やスタッフが心配していたらしい(笑)


その日の夕方、やたらお腹が張る。
まさか?

時間を見ると、定期的な張り。


もしや?
でも、次の日は隈元さんを招いて、「天然酵母のパンのお話会」を企画していた。

「まだ、産まれちゃちダメだよ!」必死に、お腹のBabyに話すが、
そんなのは無理な話。

お風呂で温めるが、15分間隔でお腹が張る。
やっぱり産まれる?

杉並区の黄助産院の先生に電話をすると、
「林さんちは、松戸だから入院した方が無難かも?」

午後6時を回っていた。
当時は、夫とスタッフと私で、大地を守る会の仕事を受けていて、
一日10万円以上のパンを出荷していた。

突然、私が抜ける‼


雪で、夜は凍結するから車では行けない!
同然電車?


高校生で、某パン屋でアルバイトをしていた長女を呼び寄せて、
彼女と電車で助産院に向かうことにした。

ルーズソックスを履いた長女が来たのは、8時。
仕事の事、家の事、子供の事など諸々引き継いでいると、時間が過ぎる。

結局、馬橋駅の電車に乗ったのは11時近く。


電車の中で、時々起こる陣痛!

新御茶ノ水で、丸ノ内線に乗り換えする時に、丸ノ内線の最終電車だから。
走る娘。
「お母さん、早く!」でも、走っている途中で陣痛が!


「うっ!」立ち止まる私に、娘は、
「お母さん、早く!」
そんな事言ったって~!
う。。。。おっ、治まった!

何とか、丸ノ内線の最終電車に乗れて、やれやれ✨
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# by paomama | 2017-01-19 07:26
2016年 12月 26日

皆川さんのシュトレン。

パオが始めてシュトレンを焼いたのは、18年位前の事。
シュトレンのレシピを集めたり、有名店のシュトレンを買いにいったり。
試行錯誤していた。

当時は、孝明くんと言うスタッフがいて。
彼と、他のパン屋で働いていた長女と子供達を連れて、車で出掛けた。

桜新町のブロードハイムとムッシュソレイユ。


山のようにパンを買い。
勿論お目当てのシュトレンも大きいサイズを買ってきた。


シュトレンは食べた事が無い。

砂糖がかかっていて甘い。
と言うのがイメージでした。

始めて口にするシュトレンは、フルーツが入っていて。
とても味わい深い。


そして、始めてパオで作ったシュトレンは。
一般のシュトレンのように、粉糖をつけるつもりでいたのだけれども、
オーガニックの粉糖が無くて。
とりあえず、ダイエーで買って来たのだけど。
舐めると、薬っぽい?

当時はバリバリの自然食ベジタリアンだったので、化学的なものや添加物には敏感で、とてもシュトレンには使えないと判断した。

そこで、夫が「きび糖を使っている店がある。」と言い。
直ぐにきびと糖を買って来て、それをシュトレンにまぶした。


考えは成功!
パオらしいシュトレンが完成した。


シュトレン完成から、二年目の頃だっただろうか?
江戸川区から、自転車でパンを買いに来る皆川さんがパオに来はじめた。

孫が生まれて、添加物の入らないパンを食べさせたいと言うことから、雑誌でパオを見つけたそう。


月に何度も、自転車で来てくれるようになり、
クリスマスの時にシュトレンを買ってくれました。

その後もシュトレンの時期は必ず二つは買ってくれていて。
とてもいいお客様でした。



その後、孫家族と同居するために、神奈川県に二世帯住宅を建てたからと、
引っ越していったけれど。
毎年、シュトレンの時期は必ず注文をしてくれました。

大きいのを二つ。
そして、クリスマス直前にまた注文をくれて。
とにかくシュトレンが大のお気に入りになったようでした。



シュトレンは、毎年微妙に変えていて。
夏が終わると、シュトレンの研究を始めていた。


12年位前の事。
良かれと、今までとは全く違うシュトレンを作った。

お店のお客様には、それはそれで好評で。
皆川さんからも注文が入って、そのシュトレンを送った。

すると、いつもなら二回は注文が来るのに、その電話が無い事で。
電話をしてみると。



本当は、言わないつもりだったのだけど、
今回のシュトレンなら、もうパオでは買えないと思っていたんだと言う。


皆川さんは、パオのシュトレンが生まれて始めて食べたシュトレンで。
こんなに美味しいものがあるのかと、全国のあらゆるシュトレンを取り寄せて食べたと言い。

そんな中、パオが一番だと言ってくれて。

奥さんが電話をくれたから言うんだけど、年よりの戯言と聞いて欲しい。
老舗の味ってあるように、パオのシュトレンは、まさにそれで、絶品だと。

とにかく年よりの戯言だからを繰り返した。



その話をそのまま夫に伝えると、
夫のシュトレンに対する迷いは消えて、このままでいいんだ。
少しでも美味しいシュトレンをと、研究しすぎていた事に気がつかされて。


それならばと、直ぐにいつものレシピでシュトレンを作って、皆川さんに送った。

すると、直ぐに電話がはいり、
まさに、これだ!
パオの老舗の味だよ。
と、さらに注文を下さった。


毎年、シュトレンの時期は二回は注文が来るようになりました。



ある、シュトレンの時期に皆川さんの電話が入らない事から、
私が電話をしてみると。


7月に肺癌で亡くなったと言う。



お父さんは、パオさんのシュトレンがとにかく気に入っていましたからね。
けれど一人の客なだけで、亡くなったのを知らせるまでも無いと思っていました。
わざわざありがとうございます。
と伝えられました。



なら、と。
お礼の手紙とシュトレンを送り、
今のシュトレンがあるのは皆川さんの言葉があったからだと伝えました。




それから、迷いなくシュトレンが作れるお礼として、毎年皆川さんにシュトレンを送っています。

今日のシュトレンをブレル事なく作れるのは、皆川さんのお陰です✨






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# by paomama | 2016-12-26 04:53