パオのパン生活

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2017年 01月 26日

息子の誕生日その4

息子を出産しても、夫は仕事から抜けられないので。
直ぐには来れなかった。

当時は、まとまった卸しの仕事をしていたので、定休日までは来れない。
お産に付き合ってくれた娘は、次の日に一人で電車で帰る事となった。

その夜から、また雪は振り出し。
シンシンと降り続いた。
窓の外は真っ白で、一面銀世界だ。

二階の六畳間を二人で過ごすのが、黄助産院の病室。 
布団を二枚並べて敷き、間に小さなついたてがあり、
小さなテーブルとスタンドが設置されていた。

お産が少ない時は、一人で使う事になる。


窓には障子があり、襖で仕切られている隣も六畳の和室。
真ん中の部屋は診察室。
その奥は四畳半の和室の待合室となっていた。

窓際の場所を与えられていたので、窓を開けると隣の屋根や他は真っ白。
吹雪くように雪は降り続いた。


ポツンと一人、「迎えに来てもらえるんだろうか?」
そんな不安がよぎるほど、雪は降り続いていた。

隣のは産まれたばかりの息子がいた。

黄助産院では、お産をしたその時から。
赤ちゃんはママの隣に来るので、沐浴以外は片時も離れない。
食事も一回のリビングに降りて、他のママや先生、助手の方達と皆で頂く。
赤ちゃんが起きていると、おくるみでくるんで連れて行き、ママの隣の座蒲団を敷いて寝かせておく。

食事は最高に美味しい手づくりで、おかわりも出来る。
ただ、先生と助手の方達で作るので、お産が入ってしまうと遅れる。
朝ごはんが10時になってしまったり、お昼ごはんが2時、夕ごはんが7時なんて日もあった。

小さな助産院なので、自動販売機も売店もない。

二度目のお産なので、その辺は把握していたので。
袋にたくさんのパンを持って入院していたので、食事が遅くなる時はパンで空腹を満たしていた。 


夫と当時のスタッフやっちゃんが、次女を連れて面会に来てくれたのは二日後の夕方。
凍結して道路が危ないので、次女に長靴を履かせて電車を乗り継いで来てくれた。

朝2時に起きて、2時半から仕事をしてして。
パンを3時半に出荷して、それから片して来てくれたのだ。
そして次の日もまた、2時半からの仕事をしてくれた。


五日後の月曜日が定休日ということで、退院はこの日になり。
松戸から西東京に引っ越した笹岡くんが車を出してくれて、夫は電車で来て送ってもらえる事になっていた。


パンを始めてから、二年目の事。
睡眠時間も少なくて、超忙しい日々を送っていた毎日だったので。
ぼんやり過ごす貴重な五日間だった。
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by paomama | 2017-01-26 03:36
2017年 01月 22日

息子の誕生日その3

1月14日に、天然酵母の会のイベントで「隈元さんに教えてもらおう!
天然酵母のお話」というイベントを企画していた。 

子供を出産してしまっては、当然中止。
7時になるのを待って隈元さんに電話をする。
「すいません、うまれちゃったんです!
ピンク電話で10円玉を握ってかけた。

隈元さんも納得してくれて、後はお申し込みをしてくれた参加者の方に連絡をと、先に白井さんに電話をした。 

すると、白井さんは。
「隈元さんを囲んでの会だから、中止にする必要はないわよ!
私がしきるから、大丈夫よ!」
と、参加者に申し訳ないからやろうと言う。

それならばと、また、隈元さんに連絡を入れてイベントは開催となりました。 

私は何もできない中、白井さんはお弁当を五つ持参で、早々とパオに来て、
「何も食べて居ないんでしょう~(^○^)」と。
確かに、バタバタしていてスタッフと二人、朝から何も食べていなかった。  

この日も、大地を守る会への卸の仕事で12万円位のパンを製造していた。
 
白井さんと隈元さんが来てくれれば、イベントは大丈夫!



結局、参加者の皆様も楽しんで帰られたそうで、めでたしめでたし🎵


その後も大雪は続き
「私は帰れるのだろうか。。。。」
そんな事を考えて助産院から外をみていました。
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現在
白井さんは、茗荷谷マールツアイトのオーナー
隈元さんほ、宮之城アビヨンのオーナーです。
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by paomama | 2017-01-22 14:13
2017年 01月 20日

息子の19才の誕生日その2

新高円寺の駅に着いたのは、12時過ぎ。
助産院には売店はないので、駅降りて脇のコンビニで、娘の食料と飲み物を購入し、タクシーに乗り込む。
1500円位の距離で降りて、助産院に着くと1時近かった。
助産院の扉を開けると、先生が笑顔で迎えてくれて診察。
「林さん、お産が始まってますよ!」そう言われて、娘とほっとした。

夜中のお産。
長女の時は市立病院で普通に産みましたが、お産が夜中になるからと。
陣痛促進剤を使われて、苦しいお産を経験して「二度とお産はしない!」と誓った二十歳の私。

でも、この黄助産院でのお産は二度目。
次女を14年ぶりに出産するにあたって、たくさんの本を読んだ中に
「それにしても、楽しいお産だったなぁ」という、黄助産院でお産をしたお母さんたちの手記をまとめた本に感動して、先生に連絡をした。

松戸から、高円寺?
お産をするには遠い?
そう思って連絡すると、優しい声で。
「筑波や成田、大阪からも産みに来る方がいますよ。」
徴候があったら、早めに入院すればいいだけの事を説明してくれて、
「松戸なら近い方よ。」の言葉に行くことにした。

初めての場所で、電車で行くのを億劫がって、のろのろしていると、
夫がヤキモキし始めて、
「めんどくさいから、こっちで産んじゃおうか?」と言うと。
「この出産が最後かも知れないのに、そんな適当ではダメだよ!」と、
仕事の休みの土曜日に、車で連れていってくれた。

松戸からだと、外環を使って二時間あれば着いた。
高円寺は、外環を降りてから小さな踏み切りがたくさんあって、時間がかかった。

次女の時は、そんな調子で。
結局、通院は夫が全部連れていってくれたのだった。


始めて黄助産院を訪れた時、優しい空気に包まれた、
三階建ての普通の家。
狭い玄関から入ると、すぐに階段。
左の部屋はキッチンと居間らしい空間があった。

階段を上がると、四畳半の和室の待合室があり、隣が診察室らしかった。
四畳半の和室には、カーペットが敷かれていて、
座布団があり、本やおもちゃが置いてあった。
直に座って順番を待つ。
病院とは全く違う空気感に、感動していて。
心は、「ここで産もう!」と決めた

診察の順番が来て、隣の部屋へ行くと。
六畳の板の間に、診療ベッドか置いてあり、診察器具が設置されていた。
ここで、四年前に次女を出産し、その感動が、自家製酵母のパンを極めようと決意するきっかけとなったのだった。

この当たりの話は、次女のお産の話を今度書くとして、話を息子に戻そう。


次女の陣痛の時は、大きなクッションを抱えていると楽で、腰をさすってもらっていたので、同じ姿勢をするが、楽にはならない。
楽な姿勢はないかと、あっち向いたり、こっち向いたりするが、
一向に見つからない、時間は2時半を回っていた。

娘は足元で、丸くなって寝ている。

トイレに立ち、便座に座る、立つ?
「あれ?楽?」
すぐに先生に伝えると、はいっと、
便座形のクッションの着いた椅子を出してくれた。 

こんなのもあるのかと感心して座る。
今までより、ずっと楽な姿勢を見つけられた。
陣痛って、その子によって違う事を発見した。

自然に産むので、時間を待つ。 
夜中なので座りながら、うたた寝をしていたように思う。

時々、杉山先生が様子を見に来てくれた。
しばらく、寄り添ってさすってくれた。

その時、どうして助産婦になったのか?
子供が大きくなってから、看護師や助産師の資格をとった話。
通学に二時間かかり、その時間が勉強の時間だった話をしてくれた。

私は、次女のお産を杉山先生に取り上げてもらった時の感動と、
それが自家製酵母どパンを極めようと思ったきっかけだと話した。

一人、夜中の陣痛を耐えるけど、先生も寝ずに付き合って下さって、
やっぱり素敵なお産を経験させてもらっていた。


4時を回った辺りから、陣痛の間隔が短くなり、
ふ~!ふぁ~!ふ~!ふぁ~!ふ~!ふぁ~!を繰り返す。

5時少し前に、
「そろそろ産まれるわよ!」先生の声に、足元で寝ていた娘を足で蹴り、
「起きて!産まれるよ!」と起こした。

高校生の制服のまま、ルーズソックスを履いている娘は、息子のお産に立ち合う事になる。
夫は仕事で立ち合う事が出来ないので、長女が代わり。

椅子に座って陣痛を逃していた私。
とうするの?
「林さん、このまま産みましょう!」先生。
最も、動ける状態では無かった。

丸椅子に座ったまま、下半身丸出し。
確か、スカートみたいなものを巻いていたように記憶する。


先生は、足元で取り上げる準備をしていた。


うーー!!!!
「苦しい~😢」一声漏れた。
「赤ちゃんも苦しいのよ!😬」先生。
「・・・・・・・!」耐える!



するん~!
「オギャーーーーーーー!」産まれた~~~~😑

「男?女?」聞くと先生が
「確かめて💕」先生は、いつも自分達で確かめさせるのでした。

ほっとしているもつかの間、
ヘソの尾のついたままのBabyを渡される。
すかさず、上着を脱ぎ上半身裸で抱く。
次女の時もそうしたのだった。

決めていたわけでは無いけれど、自然とそうしたかった。
肌で抱きしめたかったのだった。

そして、ヘソの尾を切る。
通常だと、夫が切るだけれど、夫はいない。
先生は、娘に指示した。

なかなか度胸のある娘ではあるけど、高校生が制服のまま、ヘソの尾をハサミで切る。
何とも凄い光景だ(笑)


そんな、流れで無事出産を終えるが、まだ終わりではない。

つづく。。。
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by paomama | 2017-01-20 03:38
2017年 01月 19日

息子の19才の誕生日。その1

息子は、何年かに一度の膝まで積もる大雪の日に生まれた。
自家製酵母にハマって、パンが楽しくしていた時、夫もハマってしまった夫婦が松戸にいたのは、22年前の事。

夫もハマってしまったことで、これは起業するしかないと考えて動いていて、さあ今年の6月頃にスタートするぞ!って時に。
まさかのおめでた。
我が家で三番目のBabyだった。

これからって、時に?
そこで、これから生命が誕生するって事は、これからの事業が上手くいくって事?っとポジティブに考えて、さらに男の子なら成功する。
なんて考えた若い頃。

確かに、すごく忙しかったけど、お金に困った事は無かった。
1100万円丸ごと借金で始めた事業を、一年で完済した頃。

やたら大雪の降る年で、出産予定日の一週間前。
支払いが滞ると困るからと、雪の次の日に。
長靴履いて、大きなお腹を抱えて、えっちらおっちらと、
郵便局や銀行を歩いて回った。

足元が悪いせいか、歩くのに時間がかかり、戻ったのは二時間位後。
夫やスタッフが心配していたらしい(笑)


その日の夕方、やたらお腹が張る。
まさか?

時間を見ると、定期的な張り。


もしや?
でも、次の日は隈元さんを招いて、「天然酵母のパンのお話会」を企画していた。

「まだ、産まれちゃちダメだよ!」必死に、お腹のBabyに話すが、
そんなのは無理な話。

お風呂で温めるが、15分間隔でお腹が張る。
やっぱり産まれる?

杉並区の黄助産院の先生に電話をすると、
「林さんちは、松戸だから入院した方が無難かも?」

午後6時を回っていた。
当時は、夫とスタッフと私で、大地を守る会の仕事を受けていて、
一日10万円以上のパンを出荷していた。

突然、私が抜ける‼


雪で、夜は凍結するから車では行けない!
同然電車?


高校生で、某パン屋でアルバイトをしていた長女を呼び寄せて、
彼女と電車で助産院に向かうことにした。

ルーズソックスを履いた長女が来たのは、8時。
仕事の事、家の事、子供の事など諸々引き継いでいると、時間が過ぎる。

結局、馬橋駅の電車に乗ったのは11時近く。


電車の中で、時々起こる陣痛!

新御茶ノ水で、丸ノ内線に乗り換えする時に、丸ノ内線の最終電車だから。
走る娘。
「お母さん、早く!」でも、走っている途中で陣痛が!


「うっ!」立ち止まる私に、娘は、
「お母さん、早く!」
そんな事言ったって~!
う。。。。おっ、治まった!

何とか、丸ノ内線の最終電車に乗れて、やれやれ✨
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by paomama | 2017-01-19 07:26