パオのパン生活

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2017年 01月 26日

息子の誕生日その4

息子を出産しても、夫は仕事から抜けられないので。
直ぐには来れなかった。

当時は、まとまった卸しの仕事をしていたので、定休日までは来れない。
お産に付き合ってくれた娘は、次の日に一人で電車で帰る事となった。

その夜から、また雪は振り出し。
シンシンと降り続いた。
窓の外は真っ白で、一面銀世界だ。

二階の六畳間を二人で過ごすのが、黄助産院の病室。 
布団を二枚並べて敷き、間に小さなついたてがあり、
小さなテーブルとスタンドが設置されていた。

お産が少ない時は、一人で使う事になる。


窓には障子があり、襖で仕切られている隣も六畳の和室。
真ん中の部屋は診察室。
その奥は四畳半の和室の待合室となっていた。

窓際の場所を与えられていたので、窓を開けると隣の屋根や他は真っ白。
吹雪くように雪は降り続いた。


ポツンと一人、「迎えに来てもらえるんだろうか?」
そんな不安がよぎるほど、雪は降り続いていた。

隣のは産まれたばかりの息子がいた。

黄助産院では、お産をしたその時から。
赤ちゃんはママの隣に来るので、沐浴以外は片時も離れない。
食事も一回のリビングに降りて、他のママや先生、助手の方達と皆で頂く。
赤ちゃんが起きていると、おくるみでくるんで連れて行き、ママの隣の座蒲団を敷いて寝かせておく。

食事は最高に美味しい手づくりで、おかわりも出来る。
ただ、先生と助手の方達で作るので、お産が入ってしまうと遅れる。
朝ごはんが10時になってしまったり、お昼ごはんが2時、夕ごはんが7時なんて日もあった。

小さな助産院なので、自動販売機も売店もない。

二度目のお産なので、その辺は把握していたので。
袋にたくさんのパンを持って入院していたので、食事が遅くなる時はパンで空腹を満たしていた。 


夫と当時のスタッフやっちゃんが、次女を連れて面会に来てくれたのは二日後の夕方。
凍結して道路が危ないので、次女に長靴を履かせて電車を乗り継いで来てくれた。

朝2時に起きて、2時半から仕事をしてして。
パンを3時半に出荷して、それから片して来てくれたのだ。
そして次の日もまた、2時半からの仕事をしてくれた。


五日後の月曜日が定休日ということで、退院はこの日になり。
松戸から西東京に引っ越した笹岡くんが車を出してくれて、夫は電車で来て送ってもらえる事になっていた。


パンを始めてから、二年目の事。
睡眠時間も少なくて、超忙しい日々を送っていた毎日だったので。
ぼんやり過ごす貴重な五日間だった。
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by paomama | 2017-01-26 03:36
2017年 01月 22日

息子の誕生日その3

1月14日に、天然酵母の会のイベントで「隈元さんに教えてもらおう!
天然酵母のお話」というイベントを企画していた。 

子供を出産してしまっては、当然中止。
7時になるのを待って隈元さんに電話をする。
「すいません、うまれちゃったんです!
ピンク電話で10円玉を握ってかけた。

隈元さんも納得してくれて、後はお申し込みをしてくれた参加者の方に連絡をと、先に白井さんに電話をした。 

すると、白井さんは。
「隈元さんを囲んでの会だから、中止にする必要はないわよ!
私がしきるから、大丈夫よ!」
と、参加者に申し訳ないからやろうと言う。

それならばと、また、隈元さんに連絡を入れてイベントは開催となりました。 

私は何もできない中、白井さんはお弁当を五つ持参で、早々とパオに来て、
「何も食べて居ないんでしょう~(^○^)」と。
確かに、バタバタしていてスタッフと二人、朝から何も食べていなかった。  

この日も、大地を守る会への卸の仕事で12万円位のパンを製造していた。
 
白井さんと隈元さんが来てくれれば、イベントは大丈夫!



結局、参加者の皆様も楽しんで帰られたそうで、めでたしめでたし🎵


その後も大雪は続き
「私は帰れるのだろうか。。。。」
そんな事を考えて助産院から外をみていました。
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現在
白井さんは、茗荷谷マールツアイトのオーナー
隈元さんほ、宮之城アビヨンのオーナーです。
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by paomama | 2017-01-22 14:13
2017年 01月 20日

息子の19才の誕生日その2

新高円寺の駅に着いたのは、12時過ぎ。
助産院には売店はないので、駅降りて脇のコンビニで、娘の食料と飲み物を購入し、タクシーに乗り込む。
1500円位の距離で降りて、助産院に着くと1時近かった。
助産院の扉を開けると、先生が笑顔で迎えてくれて診察。
「林さん、お産が始まってますよ!」そう言われて、娘とほっとした。

夜中のお産。
長女の時は市立病院で普通に産みましたが、お産が夜中になるからと。
陣痛促進剤を使われて、苦しいお産を経験して「二度とお産はしない!」と誓った二十歳の私。

でも、この黄助産院でのお産は二度目。
次女を14年ぶりに出産するにあたって、たくさんの本を読んだ中に
「それにしても、楽しいお産だったなぁ」という、黄助産院でお産をしたお母さんたちの手記をまとめた本に感動して、先生に連絡をした。

松戸から、高円寺?
お産をするには遠い?
そう思って連絡すると、優しい声で。
「筑波や成田、大阪からも産みに来る方がいますよ。」
徴候があったら、早めに入院すればいいだけの事を説明してくれて、
「松戸なら近い方よ。」の言葉に行くことにした。

初めての場所で、電車で行くのを億劫がって、のろのろしていると、
夫がヤキモキし始めて、
「めんどくさいから、こっちで産んじゃおうか?」と言うと。
「この出産が最後かも知れないのに、そんな適当ではダメだよ!」と、
仕事の休みの土曜日に、車で連れていってくれた。

松戸からだと、外環を使って二時間あれば着いた。
高円寺は、外環を降りてから小さな踏み切りがたくさんあって、時間がかかった。

次女の時は、そんな調子で。
結局、通院は夫が全部連れていってくれたのだった。


始めて黄助産院を訪れた時、優しい空気に包まれた、
三階建ての普通の家。
狭い玄関から入ると、すぐに階段。
左の部屋はキッチンと居間らしい空間があった。

階段を上がると、四畳半の和室の待合室があり、隣が診察室らしかった。
四畳半の和室には、カーペットが敷かれていて、
座布団があり、本やおもちゃが置いてあった。
直に座って順番を待つ。
病院とは全く違う空気感に、感動していて。
心は、「ここで産もう!」と決めた

診察の順番が来て、隣の部屋へ行くと。
六畳の板の間に、診療ベッドか置いてあり、診察器具が設置されていた。
ここで、四年前に次女を出産し、その感動が、自家製酵母のパンを極めようと決意するきっかけとなったのだった。

この当たりの話は、次女のお産の話を今度書くとして、話を息子に戻そう。


次女の陣痛の時は、大きなクッションを抱えていると楽で、腰をさすってもらっていたので、同じ姿勢をするが、楽にはならない。
楽な姿勢はないかと、あっち向いたり、こっち向いたりするが、
一向に見つからない、時間は2時半を回っていた。

娘は足元で、丸くなって寝ている。

トイレに立ち、便座に座る、立つ?
「あれ?楽?」
すぐに先生に伝えると、はいっと、
便座形のクッションの着いた椅子を出してくれた。 

こんなのもあるのかと感心して座る。
今までより、ずっと楽な姿勢を見つけられた。
陣痛って、その子によって違う事を発見した。

自然に産むので、時間を待つ。 
夜中なので座りながら、うたた寝をしていたように思う。

時々、杉山先生が様子を見に来てくれた。
しばらく、寄り添ってさすってくれた。

その時、どうして助産婦になったのか?
子供が大きくなってから、看護師や助産師の資格をとった話。
通学に二時間かかり、その時間が勉強の時間だった話をしてくれた。

私は、次女のお産を杉山先生に取り上げてもらった時の感動と、
それが自家製酵母どパンを極めようと思ったきっかけだと話した。

一人、夜中の陣痛を耐えるけど、先生も寝ずに付き合って下さって、
やっぱり素敵なお産を経験させてもらっていた。


4時を回った辺りから、陣痛の間隔が短くなり、
ふ~!ふぁ~!ふ~!ふぁ~!ふ~!ふぁ~!を繰り返す。

5時少し前に、
「そろそろ産まれるわよ!」先生の声に、足元で寝ていた娘を足で蹴り、
「起きて!産まれるよ!」と起こした。

高校生の制服のまま、ルーズソックスを履いている娘は、息子のお産に立ち合う事になる。
夫は仕事で立ち合う事が出来ないので、長女が代わり。

椅子に座って陣痛を逃していた私。
とうするの?
「林さん、このまま産みましょう!」先生。
最も、動ける状態では無かった。

丸椅子に座ったまま、下半身丸出し。
確か、スカートみたいなものを巻いていたように記憶する。


先生は、足元で取り上げる準備をしていた。


うーー!!!!
「苦しい~😢」一声漏れた。
「赤ちゃんも苦しいのよ!😬」先生。
「・・・・・・・!」耐える!



するん~!
「オギャーーーーーーー!」産まれた~~~~😑

「男?女?」聞くと先生が
「確かめて💕」先生は、いつも自分達で確かめさせるのでした。

ほっとしているもつかの間、
ヘソの尾のついたままのBabyを渡される。
すかさず、上着を脱ぎ上半身裸で抱く。
次女の時もそうしたのだった。

決めていたわけでは無いけれど、自然とそうしたかった。
肌で抱きしめたかったのだった。

そして、ヘソの尾を切る。
通常だと、夫が切るだけれど、夫はいない。
先生は、娘に指示した。

なかなか度胸のある娘ではあるけど、高校生が制服のまま、ヘソの尾をハサミで切る。
何とも凄い光景だ(笑)


そんな、流れで無事出産を終えるが、まだ終わりではない。

つづく。。。
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by paomama | 2017-01-20 03:38
2017年 01月 19日

息子の19才の誕生日。その1

息子は、何年かに一度の膝まで積もる大雪の日に生まれた。
自家製酵母にハマって、パンが楽しくしていた時、夫もハマってしまった夫婦が松戸にいたのは、22年前の事。

夫もハマってしまったことで、これは起業するしかないと考えて動いていて、さあ今年の6月頃にスタートするぞ!って時に。
まさかのおめでた。
我が家で三番目のBabyだった。

これからって、時に?
そこで、これから生命が誕生するって事は、これからの事業が上手くいくって事?っとポジティブに考えて、さらに男の子なら成功する。
なんて考えた若い頃。

確かに、すごく忙しかったけど、お金に困った事は無かった。
1100万円丸ごと借金で始めた事業を、一年で完済した頃。

やたら大雪の降る年で、出産予定日の一週間前。
支払いが滞ると困るからと、雪の次の日に。
長靴履いて、大きなお腹を抱えて、えっちらおっちらと、
郵便局や銀行を歩いて回った。

足元が悪いせいか、歩くのに時間がかかり、戻ったのは二時間位後。
夫やスタッフが心配していたらしい(笑)


その日の夕方、やたらお腹が張る。
まさか?

時間を見ると、定期的な張り。


もしや?
でも、次の日は隈元さんを招いて、「天然酵母のパンのお話会」を企画していた。

「まだ、産まれちゃちダメだよ!」必死に、お腹のBabyに話すが、
そんなのは無理な話。

お風呂で温めるが、15分間隔でお腹が張る。
やっぱり産まれる?

杉並区の黄助産院の先生に電話をすると、
「林さんちは、松戸だから入院した方が無難かも?」

午後6時を回っていた。
当時は、夫とスタッフと私で、大地を守る会の仕事を受けていて、
一日10万円以上のパンを出荷していた。

突然、私が抜ける‼


雪で、夜は凍結するから車では行けない!
同然電車?


高校生で、某パン屋でアルバイトをしていた長女を呼び寄せて、
彼女と電車で助産院に向かうことにした。

ルーズソックスを履いた長女が来たのは、8時。
仕事の事、家の事、子供の事など諸々引き継いでいると、時間が過ぎる。

結局、馬橋駅の電車に乗ったのは11時近く。


電車の中で、時々起こる陣痛!

新御茶ノ水で、丸ノ内線に乗り換えする時に、丸ノ内線の最終電車だから。
走る娘。
「お母さん、早く!」でも、走っている途中で陣痛が!


「うっ!」立ち止まる私に、娘は、
「お母さん、早く!」
そんな事言ったって~!
う。。。。おっ、治まった!

何とか、丸ノ内線の最終電車に乗れて、やれやれ✨
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by paomama | 2017-01-19 07:26
2016年 12月 26日

皆川さんのシュトレン。

パオが始めてシュトレンを焼いたのは、18年位前の事。
シュトレンのレシピを集めたり、有名店のシュトレンを買いにいったり。
試行錯誤していた。

当時は、孝明くんと言うスタッフがいて。
彼と、他のパン屋で働いていた長女と子供達を連れて、車で出掛けた。

桜新町のブロードハイムとムッシュソレイユ。


山のようにパンを買い。
勿論お目当てのシュトレンも大きいサイズを買ってきた。


シュトレンは食べた事が無い。

砂糖がかかっていて甘い。
と言うのがイメージでした。

始めて口にするシュトレンは、フルーツが入っていて。
とても味わい深い。


そして、始めてパオで作ったシュトレンは。
一般のシュトレンのように、粉糖をつけるつもりでいたのだけれども、
オーガニックの粉糖が無くて。
とりあえず、ダイエーで買って来たのだけど。
舐めると、薬っぽい?

当時はバリバリの自然食ベジタリアンだったので、化学的なものや添加物には敏感で、とてもシュトレンには使えないと判断した。

そこで、夫が「きび糖を使っている店がある。」と言い。
直ぐにきびと糖を買って来て、それをシュトレンにまぶした。


考えは成功!
パオらしいシュトレンが完成した。


シュトレン完成から、二年目の頃だっただろうか?
江戸川区から、自転車でパンを買いに来る皆川さんがパオに来はじめた。

孫が生まれて、添加物の入らないパンを食べさせたいと言うことから、雑誌でパオを見つけたそう。


月に何度も、自転車で来てくれるようになり、
クリスマスの時にシュトレンを買ってくれました。

その後もシュトレンの時期は必ず二つは買ってくれていて。
とてもいいお客様でした。



その後、孫家族と同居するために、神奈川県に二世帯住宅を建てたからと、
引っ越していったけれど。
毎年、シュトレンの時期は必ず注文をしてくれました。

大きいのを二つ。
そして、クリスマス直前にまた注文をくれて。
とにかくシュトレンが大のお気に入りになったようでした。



シュトレンは、毎年微妙に変えていて。
夏が終わると、シュトレンの研究を始めていた。


12年位前の事。
良かれと、今までとは全く違うシュトレンを作った。

お店のお客様には、それはそれで好評で。
皆川さんからも注文が入って、そのシュトレンを送った。

すると、いつもなら二回は注文が来るのに、その電話が無い事で。
電話をしてみると。



本当は、言わないつもりだったのだけど、
今回のシュトレンなら、もうパオでは買えないと思っていたんだと言う。


皆川さんは、パオのシュトレンが生まれて始めて食べたシュトレンで。
こんなに美味しいものがあるのかと、全国のあらゆるシュトレンを取り寄せて食べたと言い。

そんな中、パオが一番だと言ってくれて。

奥さんが電話をくれたから言うんだけど、年よりの戯言と聞いて欲しい。
老舗の味ってあるように、パオのシュトレンは、まさにそれで、絶品だと。

とにかく年よりの戯言だからを繰り返した。



その話をそのまま夫に伝えると、
夫のシュトレンに対する迷いは消えて、このままでいいんだ。
少しでも美味しいシュトレンをと、研究しすぎていた事に気がつかされて。


それならばと、直ぐにいつものレシピでシュトレンを作って、皆川さんに送った。

すると、直ぐに電話がはいり、
まさに、これだ!
パオの老舗の味だよ。
と、さらに注文を下さった。


毎年、シュトレンの時期は二回は注文が来るようになりました。



ある、シュトレンの時期に皆川さんの電話が入らない事から、
私が電話をしてみると。


7月に肺癌で亡くなったと言う。



お父さんは、パオさんのシュトレンがとにかく気に入っていましたからね。
けれど一人の客なだけで、亡くなったのを知らせるまでも無いと思っていました。
わざわざありがとうございます。
と伝えられました。



なら、と。
お礼の手紙とシュトレンを送り、
今のシュトレンがあるのは皆川さんの言葉があったからだと伝えました。




それから、迷いなくシュトレンが作れるお礼として、毎年皆川さんにシュトレンを送っています。

今日のシュトレンをブレル事なく作れるのは、皆川さんのお陰です✨






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by paomama | 2016-12-26 04:53
2016年 10月 22日

高橋さんの話。(偽)

高橋さんは、裏手にお店を戻してからのお付き合い。
もう6年を過ぎました。
現役では、バリバリ仕事をこなしていた感じのにこやかなご主人さま。

足の動脈瘤の病気がある為、食事制限があり、全粒粉のパンを好んで買われます。
もちろん、砂糖も油も乳製品も一切入らないパン。

週に一度、ライ麦の1、2㎏のカンパーニュ1/4とライ麦の全粒食パン2斤を買って頂きます。
来る都度に、「歩くのが足にいいから、一日一万歩は歩くよ。」などと、
ご自分の健康管理のお話をにこやかにされます。

その高橋さんが、この春、突然お顔が見えなくなり。
どうしたのかスタッフと心配していると。
スタッフのフミちゃんがある日。
「夕べ高橋さんが夢に出て来たんです。」と。

なぜ?
心配は膨らむ。

しばらくして、
奥さまから、全粒食パン2斤のご予約のお電話が入る。
すると、ご主人さまは、大動脈瘤破裂で緊急入院し、11時間にも及ぶ大手術を行い。
成功確率50%だったと言う。

思わず、電話口で「えーーー!」と、叫んでしまった。


その後も、結婚した娘さんがパンを取りに来たり、
娘さんのご主人がとりに来たり。

私もスタッフも心配は隠せない。



三ヶ月の入院生活の末、無事退院され。
ある日、奥さまとパンを買いにいらしたのは一月前の事。

退院後、初めて遠出をしたと、奥さまとご一緒にいらした。
「パン屋さんに行きたい。」
ご主人さまがおっしゃって、奥さまと二人でパオに来てくれました。


しばらくぶりの高橋さんは、小さくなられていて。
「10㎏痩せたんですよ。」と、奥さま。
高橋さんの右手の杖が痛々しかった。


ご主人さまは、椅子に腰掛け。
奥さまは今までの経緯を、私とスタッフに話してくれた。

本来だったら助からない状態だった事。
祈るような思いで11時間の手術を見守った事。
足の動脈瘤は煙草が原因だった事。

ご主人さまは、もと銀行員。
全国を転勤で回った団塊の世代。
煙草の量は半端ではなかった事。


今回も大手術で助かったのは、
足の動脈瘤の為に、毎日歩いていたことで体力があり、
それが11時間の手術をもちこたえられたと言う。

足の為にと歩いていた事が、年齢的には体力があり、助かる事に繋がったと言う。

歩け歩けって、いわれるけれど。
こういう例もあるのかと感心しました。
何人かのお客様には、お話ししています。

高橋さんの奥さまには、了解済でblogに書かせて頂きました。

現在も、毎週お二人でパンを買いに来てくれては、私やスタッフに煙草の害や食べ物のお話をして下さいます。


毎週見ているお客様は、家族や親戚みたいなんです。
毎日食べる主食を預かる立場で、同じパンを食べているから(^-^)

高橋さん、これからもよろしくお願いいたします✨


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by paomama | 2016-10-22 04:14
2016年 09月 28日

息子の話。

一番忙しい時期に生まれた息子は、ほとんど手をかけていない。
元気だけが取り柄の息子は、ワンパクマン!
男の子は勉強が出来なくても元気で運動が出来ればいいと、2年生の時からボクシング。4年生の終わりから野球。高校からはバトミントンをやっている。

大学に入っても続けていて、朝7時に出ていくと、帰宅は12時近く。
一年生は審判にかり出され、あちらの大会、こちらの大会と休みもない。
大学に入ってから、全くのオフが何日あっただろう。
やたら、でかくなった息子の洋服や靴はサイズが合わなくなって、出費ばかり。
勉強は出来ないけど、運動は好き。
真面目だけど、私はアポチン息子といつも言っていた。

夕べ、12時に目覚めると息子はいない。
大学が遠いので、時々友達の家に泊まるので、そう把握した。
2時頃、ガタガタする音に目覚めると息子が帰宅。

どうしたのか聞くと。

電車で具合の悪そうな女性がいて、
「大丈夫ですか?」と声をかけたそう。
取手まで帰るのだと言うが、すごく具合が悪そうで、
取手は、新松戸の先。
「送って行きましょうか?」と話して送っていったと言う。
時間は深夜。

結局、自宅まで送ると、最終電車は無くなっていた。
女性のお母さんが恐縮して、タクシーで帰るようにお金をくれたと言う。
タクシーを捕まえて、新松戸までいくらか聞くと、6000円位だと言う。
タクシーで帰る事にしたですが、運転手さんは昼間の価格を話してしまったようで、深夜料金なのでメーターはドンドン上がった。

すると、運転手さんがメーターを6000円で止めてくれたと言う。

息子が経緯の話をしたかは分からない。
深夜に新松戸まで帰るのだから、運転手さんが聞いたのかな?

帰宅した息子は、運転手さんが親切だったんだと話す。

「親切したから、親切のお返しをされたんだよ。」
女性は大学生だったと
具合が悪そうでも、なかなか声はかけられないし、送っていこうなんて考えない人が多いだろう。
どこか素直だから声をかけられたのかな?

うちの息子はアポチンだけど、良いとこあるじゃない!


きょうのお弁当は奮発しよう。
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by paomama | 2016-09-28 05:39
2016年 06月 06日

ハワイに行った太郎くん。

ここでは太郎くん(偽名)にしておきます。

昨年の11月の終わりの夕方の事。
辺りは暗くなり、もうすぐ閉店という時間。
一台の赤い車が庭に入って来た。
男の子と母親が「良かったあった~✨」と、店内に入って来た。

安孫子から来たこの親子さんは、息子さんが一ヶ月入院していて、
添加物と繊維の多い食べ物はダメで、
ネットで「添加物のないパン」と検索したらパオが出てきて
ようやく来れたと言う。

始めてパオに来るのに、
新松戸を知らなくて、辺りが薄暗くなってたどり着くのは、
なかなか難しい場所にパオはある。

入店するや、母親は満面の笑顔で「やっててよかった~!」と二言目。
しばらく、今までの経緯を聞くことになった。


男の子、太郎くんは中学一年生。
小柄なので、小学5~6年生かと見えた。
小学生の5年生の頃から、時々お腹が痛くなり、便秘と下痢を繰り返していた。

幾分小柄なので、母親は気になっていたと言う。
小学4年生辺りから、身長が止まり体重も増えない。
心配したおばあちゃんが、自分の弟が戦後の食料難の時代にバターを食べさせたら大きくなった事を思い出し、
孫の為と、せっせとバターを運んで来て、食べさせていた。

半年も続いた頃、突然の腹痛に太郎くんは襲われ、病院に搬送され、
そのまま緊急入院となった。

そのまま、一ヶ月断食。
毎日、抗生物質と点滴だけ。


病名は「大腸のクローン病」
西洋医学では、その箇所大腸を切る手術しかないと言う。

一ヶ月、毎日検査検査の日々。
小児病棟なのに、何も食べられない。

一ヶ月後、手術の同意書にサインするまでになった。

その時、母親がふと太郎くんを見ると、
食べられないストレスで、少しおかしくなっていた。


大人なら、状況的に食べない意味が解るものの、
お腹が空かなくても、回りの子供達が食べているのを見るのは
想像以上のストレスだろう。

母親は、その状況に気がつき
サインするまでになっていたのを撤回して、緊急退院させて来た。
半ば無理やり。

「それでも母親か!殺す気か!」とまで、言われた。

このまま、ここに置いて置いたら、息子は精神的におかしくなる❗
そう、母親は感じた。



とにかくパンが好きで。

そう言うと、今までの経緯を話してくれた。


太郎くんが3才の時に離婚。
お姉さんが一人。
以来、母親が働いて育てていた。
太郎くんは、コンビニが大好きな偏食くんで、
野菜は食べない。
コンビニのパンとお菓子が大好き。


母親は食の大切さをあまり知らなかった。



しばらく、母親と太郎くんはパオに通ってくれた。
来るつどに、食の本や医療の裏側なんて本を貸しては、
毎回話した。

私達の子供達は予防接種を一切していない。
小学校に上がるまで、ほとんど肉は与えていない。

私の母親も25年前に、腎臓が倍に腫れていて手術と言われたのを、
私が、腫れてるから切ればいいはおかしい。
腫れてるなら、縮まなきゃ。
切ったら腎臓ではないですよね。

そう言ったら、先生はムッとした。

当時30才、バリバリのマクロビアンだったから、
思ったまま言ってしまった。
意見なんて、大それたことも思っていない。

ただ、太っていた母親は、
脂肪が大変だから、痩せてから手術と診断された。


その後数年後、精神的なトラブルで引きこもり、食べなくなり激やせ。

元気になった82才、内蔵はどこも悪くない。
少し痴呆があるだけ、
あの時の手術って何?
いつも思う。


そんな話をしたら、太郎くんの母親は
ポロポロ涙を流した。
怖かったと言う。

自分の直感だけで退院させたものの、大丈夫なのかと。



その後、船瀬塾を紹介した。
丁度、医療の勉強会があり、太郎くんと二人で参加する事を進めた。
一番前の席に二人で座り、太郎くんは船瀬先生にいじられながら、
たくさん笑って学んだ。




その後、
しばらく姿が見えなくて心配していた頃、
半年ぶりに太郎くん親子が店に来た。



「明日から半年、ハワイに行くんです。」
ハワイで医療用大麻を使った治療を見つけたと。

経費は数千万。
家が買えると。

それでも、お金をかき集めて、借金して行くと言う。



コンビニの添加物が、このクローン病の原因かは解らない。
けれど、大腸だから、全く関係ないとは言えない。

手軽で、安い食べ物が、
数千万と子供の時間を引き換えにした?


でも、太郎くんは病気を克服して
自分と同じような人のアドバイスが出きる人になりたいと
笑顔で言ってくれた。


明日、ハワイに行くという前日に太郎くんは
「パオママに挨拶に行かなきゃ!」って来てくれた。



半年後、元気で会えるように祈っています。
そして、私も半年後に太郎くんに会った時に
笑顔で迎えられるように頑張るから。


これから、紫陽花が咲くからね、
花の季節が変わる秋頃に会えるかな。
待ってるね。
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この掲載は太郎くんのお母さんの了解済みです。
参考になればとおっしゃていました。



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by paomama | 2016-06-06 04:03
2016年 05月 16日

息子の火傷。

恐ろしいタイトルだけど、金曜日の11時頃店に電話が入る。
「母ちゃん、僕、顔に火傷しちゃってさぁ。」
えっーーーーー‼

ここ数日、大学近くの友達の家に泊まっていた。
前日の夜、部屋で寝転んでいた息子の側で、友達がカップラーメンを食べようとしたところ、誤って落としたらしい。

寝転んでいた息子の頬にかかり、頬、唇、鼻の中を大火傷!
夜中だった事で、一晩中冷やして時間を朝になるのを待ったという。
「なんで、緊急外来か、救急車を呼ばなかったの😬」って聞くと、
病院へ行っても薬くらいだと思ったと言う。

とりあえず、病院へ行き、学校へ行ったとの事。
「部活は?」ってたずねると、
「薬を塗ってガーゼとマスクでカバーしたから出る。」と言う。

心配しながらも、夜の8時半には帰るからと言われたので、待つしかない。



帰宅を待つが、帰って来ない。
眠くなり、9時半に娘に
「お兄ちゃんが帰ってきたら起こしてね。」
と、お願いして休む。

ガタガタと物音で目覚めたのは12時。

「大丈夫?」息子に声をかけた。
唇が腫れ上がり、頬に線のように赤く皮膚が剥けている。

「口を動かすと痛いから、何も食えないんだよ。今日一日でメロンバン1つを、小さくちぎって食べた。」夕食もいらないと言う。

「アイスクリームなら食べられる?」
小さなスプーンとハーゲンダッツを差し出した。
一口、口に運び「うめっ!」って嬉しそう。

次の日の仕事を考えて休ませてもらったが、
息子は次の日も大会で木更津までいくと言う。



次の日の、朝6時20分の電車に乗ると言って出掛けた。



胸がモヤモヤして、切ない。

仕事ばかりの母親は、子供達にあまり何もしてあげていない。
他のお母さん方のように子供を愛していないのか?
と思った事もある。

でも、怪我をした息子が切なくて心配している自分がいて、
母親な自分に驚いていた。



大きな怪我もなく、すくすくと育っていた子供達。


自営業なので、いつも側にいる。
なんの心配も無かった事に気づく。


火傷の後を見るつどに、いかに痛かったかを思うと切ない。




こんな風に感じられる自分の心。
以前の自分からずいぶん回復した事を見つけた。


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by paomama | 2016-05-16 03:56
2016年 04月 15日

陽子ちゃんの電話

昨日の事。
夕方、食事前位の時間に電話。
末娘が出る。

お母さん「山崎さんだって!」
えっ?山崎さん?
知らないよ~。

おそるおそる出る。
「今晩は、山崎です。」
「はい。今晩は、山崎さん?」
「山崎陽子です。」

えっーーー!
「陽子ちゃん?」


そうなんです。
ラスクの陽子ちゃんからの電話でした。
何年ぶりでしょう?

結婚したって、ご主人様とお店に来たのは10年位前の事。
今は子供4人のママ。
2つ違いづつの子供たちと戦争のような毎日を送っている。


ふと、「侑莉子さんもてっちゃんをおんぶして頑張っていたよなぁ~」
って思い出して、何年ぶりかでブログを開いたところ、自分の事ご書いてあり、まさかの偶然。

「働いたこともない私にたくさんの事を教えてくれて、本当に感謝しているんです‼ブログ見て、こんな風に思ってくれていたんだって思ったら嬉しくて、伝えなきゃ!って思ったんです。」


数十分の間、懐かしくて近況報告会となった。



当時は、パンがコンスタントに焼けなくて試行錯誤ををしていた時代。
自分達も若かったし余裕もなかった。
頭から叱ったし、泣きながら仕事したり。



陽子ちゃんは、パン生地の入った番十をひっくり返したり、
種を溢してしまったり、とんでもない失敗をくりかえして
仕事に自信を無くして辞めた。

最後のお給料をなかなかとりにこなくて連絡して、
数週間後、ようやく取りに来たのは夕方。
私たちに会わせる顔がなくて来れなかったと言う。



3才になるみりは陽子ちゃんと大の仲良し。
陽子ちゃんが来なくなった事をしきりに気にしていた。

お給料を取りに来た陽子ちゃんを見つけると出てきて、
「どうしてみりちゃんちに来なくなったの?みりが嫌いになったの?」
何も言えないで涙をためる陽子ちゃん。

私も切なくて何も言えなかった。


伊勢丹本店のイベントの仕事を2週間やった時は
みんなで徹夜したり、早朝から仕事をしたり休みなく頑張った。
陽子ちゃんも必死でついてきた。


大変だったけど、熱かった。

10年前に会った時にもいわれたけれど、
「あの時があるから違う仕事についても頑張れたし、どんなに残業が続いても、仕事はこんなもん。って思えて有り難かった。」
そんな風に言ってくれた。


私も鮮明に覚えていますよ。
あの2週間の仕事、陽子ちゃん、八ツ橋くん、桧田くん、桧田くんの奥さん
大変だったけど、楽しかったね。
その節は、ありがとうございました‼
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by paomama | 2016-04-15 18:52